ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

疎き老眼すかして見れば……

 去年の夏から白内障の治療を続けているが、老化がさらに進んだか、特に右目が急に疎くなってオペをお願いした。
 右目は明るくなった。目の前の壁がこんなに白かったのか、ノートの紙もこんなに白かったんだ……。喜んだのも一両日、愛用のメガネと右目の度が合わなくなってしまったようだ。続けて読んだり書いたりしていると、頭がくらくらしてくる感じすら。
 「一二ヶ月経過を見てから、遠近メガネ用の度を測り直してみましょう」と眼科医。まだしばらく不自由な日々が続きそうだ。
 こんなありさまで、道を歩いても足元がおぼつかない。数メートル先の人の顔もとっさに判別がつかないもどかしさも解消されない。
 

忘れたころに……神前結婚式

 一年振りに結婚式をとり行った。
 受け付けて色々話を聞いてみると、両家親族等の出席者が40人。こりゃ大変。
 ここ数年来の挙式は、ほとんどが新郎新婦と両親、兄弟ら出席はせいぜい数人。仲人はなし、といった簡素な結婚式の申込ばかりだった。
 忘れたころの災害とぼやけば相すまぬ話だが、こちらは準備が大変。
 神饌室の棚に積み上げてあった折敷はゴキブリのフンで真っ黒。白布はと物置から段ボール箱を引っ張り出せば、これまた雨漏りとゴキブリのフンとでシミだらけ。
 ひゃー。折敷の汚れは湯でこすって落とし、白布は呉服屋へ走ってテーブル10本分を裁断してもらい新調。
 臨時巫女。去年頼んだ二人のうち若い方は結婚してしまって県外へ。あわてて新卒のプーちゃんを探したが、これまたあいにく。
 ワラにもすがる思いで、行きつけスーパーのレジ係り嬢にアタックしてスカウト。折りよく挙式当日は勤務が休みだから、巫女の体験をしてみたいとOKの返事。やれやれ。リハーサルの日を決める。


 孤軍奮闘、どうやらその日に漕ぎ着け、にぎやかな結婚式は無事滞りなく斎行された。
 老体のこの身は腰痛をぶり返し、後片づけもそのままで数日。やっと昨日今日、こぶしでとんとん腰をたたきながら、盃を洗い、折敷を片づけ、白布を折りたたんで段ボール箱へ今回は確実に収納する。テーブルはだれか氏子総代をつかまえて物置へ運んでもらうつもりだ。
 
(当神社は十数年前まで、挙式から披露宴まで行っていたが、施設の老朽化と近くに開業した大手結婚式場の影響で申込件数が減って披露宴会場を閉鎖、今は拝殿で挙式だけをとり行っている)。
 

こころ新たに

 4月、新年度が始まった。


 気持ち新たに、さあスタート。


 境内、境外林のサクラ満開である。日差しも暖かい。


 社務所は相変わらず忙しい。新任氏子総代の名札書きかえ、名簿整理、会計決算次いで会計監査、文化財補助金関係の決算・予算・事業計画書の作成、神社庁支部や部会の総会、研修会等々、いつものことながらひとりしこしこ5月連休辺りまで休む暇もない。





 

やれやれ、3月

 窓越しに見える東参道のソメイヨシノ。あした辺りちらほら咲き初めそうな気配。

 毎年のことながら、年度末の3月は体も心も余裕を失う。妻に任せている店の決算、私自身の確定申告。神社一般会計、特別会計の決算、指定無形民俗文化財等保存継承事業(獅子舞)補助金に対する事業・収支報告等々、梅林の梅の香を楽しむひとときさえ見出せぬままあと1週間で弥生も終わる。

 自分の能力が落ちたのかな、と老体を嘆きつつも、仕事が一つ、また一つ終わるたびにそれでもささやかな満足感を覚える。そんなきょうこのごろである。

 近隣神社の同僚神職は「おれは掃除屋だ」と嘆く。氏子総代たちが「宮司さん、祈祷何かやらんでよろしい。毎日境内の掃除さえやってもらっていたら結構」とおっしゃるそうだ。そんな神社もある。
 
 私などはさしずめ事務屋だ。ほとんど終日、パソコンとにらめっこの日が多い。事務の間を縫うみたいに、神職の主な仕事である宮参りや車のお祓い、厄除けの祈祷、神職の生涯研修会への出席、はては神前結婚式の予約を受けて臨時巫女のスカウト?やら、銀行に郵便局次は教育委員会へ、ああ忙し忙し。


 おや、いつの間にか定刻。拝殿を閉め、ポットや茶殻の始末をして退出とするか。

 

梅も桜も、もう少し先のようです

 夕方5時前、ジャンパーを引っかけると、思い切って寒風の境内に立った。
 700メートルほどの長い東参道を行くと梅林。つぼみは少しふくらんだ程度。桜はまだずっと先のようだ。あたりをちょっと見回して異状なしを見届けると、急いできびすを返す。
 参道沿いに高さ3メートルほどのサザンカの木。こぼれるほど無数に咲いていた淡紅色の花も散り果て、すっかり落ちぶれた一輪が小枝にしがみついて寒風に揺れていた。
 赤い花をつける大木もあるが、私は背丈30センチぐらい低木のサザンカが好きだ。師走の夕暮れなど、薄闇の中に花のそこだけ白くぼんやり浮かんでいる風情は、何だか甘酸っぱく切ない気分にさせられる。
 高校3年秋の終わり、学校近くの丘に登って語りあったあの人。暮れなずむ空を見つめて、過ぎ行く時をうらんだ彼の人の白い顔を重ねあわせ切ない。
 青春は、遠い遠い思い出の彼方である。

総代さん、誇りを持って!

 街行けば元気なお年寄りが満ち溢れて?いる。まさに熟年。
 夫婦旅行、ジョギング。梅の便りを耳にはさめば、カメラ片手に愛車で駆けつける。産直市に出向いてあれこれ試食して回る等々、毎日忙しいことである。それが生きがいという人もあろう。
 そんな人たちも、地域の集まりと聞くと、とたんにしり込みする向きが多いという。自治会の役を逃げる、役員に選ばれるのがいやだからに老人会を敬遠する……。
 氏神さまの氏子総代選出となると、さらに逃げ腰となる。極端な人は氏子をやめてでも総代の役回りから逃れようとする。
 いやいや(嫌々)総代に選ばれた人ばかり寄り集まってもらっても、神社に活気は出ない。氏子組織力の低下は、やがて氏神さま存続にかかわってくる。
 ことし一自治区で、自治区組織と全く切り離して、その地域の氏子だけの集いを立ち上げて、総代の選出を少しでもスムーズにしようと試みられている。新任自治区長さんの発案で、宮司の私とも十分話し合って今組織づくりを進めてもらっている。発足の日が待ち遠しい。

右向けば、右を向いたまま

 私ども氏神さまは、氏子の地域代表である氏子総代の奉仕活動で維持されている。
 宮司に就任したてのころ、古い総代から「立派な宮司がひとり逆立ちしたって神社はやっていけない。運営は、すべて氏子総代の働きいかんにかかっている」と冗談まじりのあいさつをされた。
 内心(そんなこと、承知してるわい)カチンときたが「ごもっとも」と、相づちを打っておいた。
 総代のお年は65歳から80歳前後。一国一城の主ばかり。市会議員もいるし、現役時代は役所の課長、病院の事務長等々おえら方も多い。
 おっしゃることは、いちいちお説ごもっとも。でも、体は動かない。汗をかかない。氏子が減った、減ったと嘆くばかり。近所に新しい家が建っても、氏子入りを勧めようとはしない。氏子数は全くふえない。だから、神社はいつも貧乏暮らし。
 大祭の準備が始まると総代長がいつもぼやく。「テント張って、テーブル並べて」と頼んでも椅子を出そうとしない。椅子が出ていない、と言うと「椅子出せとは言われなかった」との返事が返ってくる。右向け言ったら、いつもでたっても右向いたままの格好だよ……。
 ひとりひとりの総代はみなさん立派な方なのに、集合するとさながら烏合の衆。総代長の統率力が足らないのか、宮司の不徳の致すところか。総代長と嘆き合う。
 氏子総代といえば、昔は名誉職だったというに。今は大方が初めから逃げ腰。こんな総代方に動いてもらおうとするには――これはなかなか一筋縄ではいかない。