ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

あちゃー、また、やられた

 神宝庫の賽銭が盗まれた。施錠が引きちぎって破られ、真ちゅう製の錠前も消えていた。
 賽銭箱の中身は、今回も銅貨数十円か多くて数百円であったろうが、人さまが祈りを込めてお供えした賽銭を盗む行為に腹が立つ。
 賽銭箱を修理しても修理しても、しばらくするとまたやられる。これまで、そんな繰り返しである。
 賽銭はわずかしかはいってないことがわかっていても、とにかく賽銭箱を破って開けて中身を見てみたい賽銭ドロは「一種の病気」(警察官の話)なのかも知れない。
 神社は、修理と代わりの錠前を買う出費の方が高くつく。
 防ぐ手立ては考えつかない。
 また、当分の間は毎日こまめに、数十円の賽銭を回収することになる。

神主さんはみんなタフ

 神社庁支部の忘年会。いつもの顔ぶれ。
 敬遠されたか、ことしも若い神職の姿なく、年寄りばかり十五、六人。
 酒は強いし、大声でよくしゃべる。コンパニオン相手に、会場はたちまち盛り上がる。
 それなりに楽しい雰囲気である。

 
 それなりというのは、酒の勢いを借りて、斯界に対する熱い思いを吐露する者もいないし、神主の宴席はいつもそんな空気になることはない。昔からそうである。この夜も忘年会だから、それでいいのかも知れないが。

 昔、私のいた新聞社の報道部忘年会では、地方紙の行く末を憂い口角沫を飛ばす連中が何人かいて、つかみかからんばかりの、二次会の「頼もしい」ひと時もあっという間に過ぎ、気がつけば午前様なんて思い出がある。はるか遠い過去の話ではあるが。


 さて、2時間ほどの宴が終わると中締め。ウイークデーだったので、私ども数人の日帰り組は退席。宿泊メンバーは、どっかり腰を据え、二次会でラストまでさらに盛り上がる。
 年だ年だと言いながら、どの人も実に元気だ。うらやましい。
元気だから高齢になっても神職が続けられるのか。神職をやっているから元気なのか。そんな素朴な疑問がふと浮かぶ。
 日ごろ神職のブログを見ていると、どの方もまことにタフである。よく働く。健康で頼もしい神職のいるお宮は、ご神徳ますます発揚され、ご社頭もきっと賑わっていることだろう。敬服する。
 でも神社界、とりわけ私ども小さなお宮は、どこへ流れて行くのであろうか。行く末をただおろおろ気にするばかりである。

とりとめのない話

 明日の月次祭(つきなみさい)の準備を済ませてから、向拝所付近の落ち葉をかき集め、炉(といっても地面に穴を掘ってブロックで囲んだだけのもの)で燃やした。

 雨上がりで、湿った落ち葉はなかなか燃え上がらない。

 「落ち葉を焚いた煙にむせ、涙誘われ泣いたとき……」だったか、若いころ口ずさんだラジオ歌謡「さざんか」の歌を思い出した。

 霜の季節にはちょっと早く、辺りの木々は黄褐色に染まって静まり返っている。

 新しいお神札お守もそろって、歳末準備は着々。いつもどおり一人作業で進んでいる。お守袋への「内符」入れだけは、氏子総代の所の若奥さんに援けてもらった。

 熊手や破魔矢など縁起物が入荷すれば、年越し参り、初詣を待つばかり。すでに新年の安全祈願など町内企業等から予約がはいっている。

 経理事務など社務所の事務仕事は、ひと月ほど遅れたままである。

 あれこれ思えば、うんざりである。でも、これで20年近くやってきた。これからもしばらく続くであろう。 

やすきにつく

 氏子のAさんが車を買い換えたので、昇殿され交通安全を祈願された。

 先ごろ追突され、車は後部を大破したが、幸いけがは免れたとの話。
 
 「新車にかえるたび交通安全祈願のお参りをし、車のお祓いをしてもらっているお蔭です。小難で済ませてもらった。」と頭を下げられた。

 「災難でしたね。でも、けががなくてよかった。」と私。

 40代のAさんは、きっと日ごろ周りに気を配りながら、安全運転に努めておられるから大難を逃れることができたのでしょう。それを神さまのご加護によるものと謙虚な態度で神前にぬかずく。

 Aさんのその心根に私は感服、一層気を入れて清祓の儀(交通安全祈願)を務めた。
「いつもていねいにお祓いしてもらってありがとう」Aさんは礼を述べて帰られた。

 神職として、人さまに喜んでもらえた時は、本当にうれしいもの。

 同時に、神さまとAさんとの「なかとりもち」として、自分の立ち居振る舞いは神のみこころ(神慮)にかなっているのだろうか、自分をさいなむことたびたび。

 日常生活で、幾つになっても、気がつけば「易きにつく」自分を見る。しかってもしかっても、つい労を惜しむ。手軽な道・方法を選んでしまう。

やっぱり動くべし

 まさに小春日和。穏やかで、暖かい一日であった。

 朝から七五三の祈祷が数件。3歳児と5歳児ばかり。ロビーや拝殿は人数以上のにぎやかさ。廊下でのかけっこには参った。

 この日、境外地の近隣公園で地元商工会青年部主催のイベントがあって、会場への通り道の一つとなった参道は終日大にぎわい。お蔭で神社に立ち寄ってお参りされる人も途絶えることがなかった。やはりイベントがあれば人が集まる。参拝者もふえる。

 ご老体ぞろいの氏子総代会だが、遠慮せずその尻をたたき、神社としても催し物を企画、商工会イベントに便乗して境内を賑わせるべきだった。残念。だが後の祭り。

 氏子総代に遠慮し過ぎるのかなあ。

はぐれ七五三

 秋はいつも駆け足だが、ことしは気配を感じる間もなく過ぎ去って行った。
秋の大祭も終わり、週末のきょう明日は「はぐれ七五三」の予約が数件。よんどころない事情があったのだろうと思うけれども、やっぱり15日までにお参りいただけたらと残念である。何事も自分の都合に合わせる……。そんな親と予約電話や祈祷受付窓口でやり取りしていると、その人となりがうかがえる。一事が万事である。


 今の世の中、季節感が希薄になったと言われる。それとともに人生の折り目もつけられなくなってしまった向きも多いようである。

 日本人の心は、どこへ流れて行くのだろう。

いつかどこかで

那智の大滝

 紀伊勝浦へ妻と一泊旅行。熊野那智大社や新宮の熊野速玉大社をお参りした。
 遊覧船で紀の松島めぐりや太地のくじら浜公園を楽しみながら、これは前にも来たことがある風景だ、いつだれと旅行した時だったろう、そんな思いに陥った。
 那智の大滝や熊野速玉大社は、神職の研修時代、巡拝旅行で訪れたような記憶が残っているが、島めぐりやくじら博物館は初体験のはずだ。
 初めての場所なのに、前にも来たような感じがする――こういうのをデジャ-ビュ(既視感)というそうだ。
 いや、ただの老人ボケだろうか。おれも年取ったからなあ……。
 それにしても石段は足腰にこたえた。ああ、やっぱり年なのか。

 お参りしたどのお宮もお寺も、参道や境内の清掃が行き届き清々しかった。
 それに比べわが社の境内は今朝も落ち葉の山。早や寒気を含んだ秋風に、間断なくパラパラ舞い落ちる桜の枯葉を恨めしげに見上げながら、ひとり竹ぼうき持つ手もついストップ。