ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

君の支え・・・

 受話器の声は、すぐ分かった。

 [やあ、T君。おめでとう」と言葉をかける。

 T君は「(ワンちゃん本名)君、年賀状ありがとう。わしは、よう出さなかった。」

せきこむかのように、大声でしゃべってきた。

 久しぶり、うれしかったのだろう。

 元日夕方の電話である。

 

 T君は、小学校からの同級生。故郷を巣立つと名古屋で就職。そのまま居をかまえて

いる。ずうっと年賀状を交換、年に一二度思い出したかのように電話をしてくる。

 元気な声だが、時々ろれつが怪しくなり「えっ」と聞き返す。

 「免許証を自主返納し、コロナ禍で家に縮こまっているうち足がめっきり弱くなり、

杖を頼りの生活になってしまったよ」T君は声を落としてつぶやく。

 「私も、同じさ。やっぱり歳には逆らえないもんやなあ。」と声を合わせる。

 「幸い家内が元気なんで、よたよたしているわしにすぐ手を貸してくれる。よく支え

てくれる。お蔭で、趣味のDIYも続けられる。ありがたく感謝してるんや。」うれし

そうなT君である━━。

 

 私と妻とは高校の同級生、2年の夏休み、ふとしたきっかけで親しくなった。

 紆余曲折、音信途絶えた一時期もあったが、6年も7年も長くつき合っているうち、

この女性なら、結婚して所帯を持って、もしことある時には私の支えになってくれるで

あろう、と冷静に判断し確信し、求婚したのであった。

 

 20代から30代半ばまでの新聞記者時代、幼子を抱え、薄給の所帯を守ってくれ

た。日勤、夜勤、当直、不意の徹夜━━安心して働き続けることができた。

 わけあって、養父の小売店を継いだ後は、私は主に外回り、妻は店を切り回し、老い

た養父母、2人の子供を見ながら、月末の支払い金のやりくりに苦慮する私の相談相手

になってくれた━━。(以降は省略)

 

 妻が認知症。思わぬ障害に、余生がつまずくことになろうとは・・・。

 

 年が明けて、余生また一つ少なくなった。

 

 妻を支えるばかりの側になってかれこれ4年。

 (叫びたくなるようなイライラ気分をぐっとこらえ)しっかりしなくっちゃ。

 老体をしったする。

 

 ━━おや、もう5時だ。今晩のおかず、何を作ろか。「おいしいね。」妻の喜びそう

なレシピをあれこれ思い浮かべながら腰を上げた。