ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

鏡かけ

  鏡台の鏡かけがめくられたまま、鏡面がむき出しになっているのを見か

けると、私はとても気になる。すぐに布をきちんと掛け直して、その場を

離れる。

 

 いつ頃からだろう、気になり始めたのは――。 鏡を使った後、妻が、

つい鏡のカバーをし忘れて立ち去るのかなあ、と思っていたが、私がカバ

ーをかけ直してくると、いつの間にかまた鏡がむき出しになっているので

ある。

 

 ある時、「母さん、鏡かけ、まためくられたままだったよ。気にならな

いの」と尋ねたら「そう」と生返事して平気な顔をしている。

 

 やがて妻の認知症が進み始めると、″鏡かけのめくれ”が日常となった。

 

 

 ――「物の怪(け)が、鏡に映ったおのれの醜い姿に驚き、夜中に鏡か

ら飛び出して人に襲いかかってくる。それやから、鏡かけはいつもちゃん

と掛けておかないかんよ」と幼いころ、母から教えられていた。

 母は鏡台をとても大事に取り扱っていた。

 

 鏡面の保護、物を大切に取り扱う――ガラス面を上向きに置いている

と、上から物を落とした時にガラスが割れてけがする恐れもある、という

ことや、鏡(金属製)は神様の御霊代(みたしろ。ご神体)になる神聖な

もの、はたまたむき出しの鏡面は霊界と人間界の境の扉の役をして悪魔や

物の怪が出てくるなどと、昔の人は必ずガラス面をカバーしていた、と、

いつか聞かされている。

 

 鏡台の、むき出しの鏡面に出合うと、幼いころからの、そんな記憶が

私の心を騒がせるのかも知れない。

 

 あるいは――私が幼い時分、母は農閑期になると、日当たりの良い、縁

側に近い明るい八畳間に裁縫箱を持ち出し、繕い物や自分の野良着を手縫

いでつくったりしていた。

 そんな時、母は

 〽「母の形見の鏡かけ 色も懐かし友禅模様‥‥」と、自分が若いころ

にはやった映画主題歌の「純情二重奏」(昭和14年。西城八十作詞)を好

んで口ずさんでいた。

 

 そんな母の面影が、私の心にさざ波を立てるのかもしれない。

 

 いずれにせよ、鏡かけをめぐっては、これからも、私と、記憶障害の進

む妻との、暗黙のせめぎあい?が続くのであろうか。