ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

こころ新たに

 4月、新年度が始まった。


 気持ち新たに、さあスタート。


 境内、境外林のサクラ満開である。日差しも暖かい。


 社務所は相変わらず忙しい。新任氏子総代の名札書きかえ、名簿整理、会計決算次いで会計監査、文化財補助金関係の決算・予算・事業計画書の作成、神社庁支部や部会の総会、研修会等々、いつものことながらひとりしこしこ5月連休辺りまで休む暇もない。





 

やれやれ、3月

 窓越しに見える東参道のソメイヨシノ。あした辺りちらほら咲き初めそうな気配。

 毎年のことながら、年度末の3月は体も心も余裕を失う。妻に任せている店の決算、私自身の確定申告。神社一般会計、特別会計の決算、指定無形民俗文化財等保存継承事業(獅子舞)補助金に対する事業・収支報告等々、梅林の梅の香を楽しむひとときさえ見出せぬままあと1週間で弥生も終わる。

 自分の能力が落ちたのかな、と老体を嘆きつつも、仕事が一つ、また一つ終わるたびにそれでもささやかな満足感を覚える。そんなきょうこのごろである。

 近隣神社の同僚神職は「おれは掃除屋だ」と嘆く。氏子総代たちが「宮司さん、祈祷何かやらんでよろしい。毎日境内の掃除さえやってもらっていたら結構」とおっしゃるそうだ。そんな神社もある。
 
 私などはさしずめ事務屋だ。ほとんど終日、パソコンとにらめっこの日が多い。事務の間を縫うみたいに、神職の主な仕事である宮参りや車のお祓い、厄除けの祈祷、神職の生涯研修会への出席、はては神前結婚式の予約を受けて臨時巫女のスカウト?やら、銀行に郵便局次は教育委員会へ、ああ忙し忙し。


 おや、いつの間にか定刻。拝殿を閉め、ポットや茶殻の始末をして退出とするか。

 

梅も桜も、もう少し先のようです

 夕方5時前、ジャンパーを引っかけると、思い切って寒風の境内に立った。
 700メートルほどの長い東参道を行くと梅林。つぼみは少しふくらんだ程度。桜はまだずっと先のようだ。あたりをちょっと見回して異状なしを見届けると、急いできびすを返す。
 参道沿いに高さ3メートルほどのサザンカの木。こぼれるほど無数に咲いていた淡紅色の花も散り果て、すっかり落ちぶれた一輪が小枝にしがみついて寒風に揺れていた。
 赤い花をつける大木もあるが、私は背丈30センチぐらい低木のサザンカが好きだ。師走の夕暮れなど、薄闇の中に花のそこだけ白くぼんやり浮かんでいる風情は、何だか甘酸っぱく切ない気分にさせられる。
 高校3年秋の終わり、学校近くの丘に登って語りあったあの人。暮れなずむ空を見つめて、過ぎ行く時をうらんだ彼の人の白い顔を重ねあわせ切ない。
 青春は、遠い遠い思い出の彼方である。

総代さん、誇りを持って!

 街行けば元気なお年寄りが満ち溢れて?いる。まさに熟年。
 夫婦旅行、ジョギング。梅の便りを耳にはさめば、カメラ片手に愛車で駆けつける。産直市に出向いてあれこれ試食して回る等々、毎日忙しいことである。それが生きがいという人もあろう。
 そんな人たちも、地域の集まりと聞くと、とたんにしり込みする向きが多いという。自治会の役を逃げる、役員に選ばれるのがいやだからに老人会を敬遠する……。
 氏神さまの氏子総代選出となると、さらに逃げ腰となる。極端な人は氏子をやめてでも総代の役回りから逃れようとする。
 いやいや(嫌々)総代に選ばれた人ばかり寄り集まってもらっても、神社に活気は出ない。氏子組織力の低下は、やがて氏神さま存続にかかわってくる。
 ことし一自治区で、自治区組織と全く切り離して、その地域の氏子だけの集いを立ち上げて、総代の選出を少しでもスムーズにしようと試みられている。新任自治区長さんの発案で、宮司の私とも十分話し合って今組織づくりを進めてもらっている。発足の日が待ち遠しい。

右向けば、右を向いたまま

 私ども氏神さまは、氏子の地域代表である氏子総代の奉仕活動で維持されている。
 宮司に就任したてのころ、古い総代から「立派な宮司がひとり逆立ちしたって神社はやっていけない。運営は、すべて氏子総代の働きいかんにかかっている」と冗談まじりのあいさつをされた。
 内心(そんなこと、承知してるわい)カチンときたが「ごもっとも」と、相づちを打っておいた。
 総代のお年は65歳から80歳前後。一国一城の主ばかり。市会議員もいるし、現役時代は役所の課長、病院の事務長等々おえら方も多い。
 おっしゃることは、いちいちお説ごもっとも。でも、体は動かない。汗をかかない。氏子が減った、減ったと嘆くばかり。近所に新しい家が建っても、氏子入りを勧めようとはしない。氏子数は全くふえない。だから、神社はいつも貧乏暮らし。
 大祭の準備が始まると総代長がいつもぼやく。「テント張って、テーブル並べて」と頼んでも椅子を出そうとしない。椅子が出ていない、と言うと「椅子出せとは言われなかった」との返事が返ってくる。右向け言ったら、いつもでたっても右向いたままの格好だよ……。
 ひとりひとりの総代はみなさん立派な方なのに、集合するとさながら烏合の衆。総代長の統率力が足らないのか、宮司の不徳の致すところか。総代長と嘆き合う。
 氏子総代といえば、昔は名誉職だったというに。今は大方が初めから逃げ腰。こんな総代方に動いてもらおうとするには――これはなかなか一筋縄ではいかない。

あちゃー、また、やられた

 神宝庫の賽銭が盗まれた。施錠が引きちぎって破られ、真ちゅう製の錠前も消えていた。
 賽銭箱の中身は、今回も銅貨数十円か多くて数百円であったろうが、人さまが祈りを込めてお供えした賽銭を盗む行為に腹が立つ。
 賽銭箱を修理しても修理しても、しばらくするとまたやられる。これまで、そんな繰り返しである。
 賽銭はわずかしかはいってないことがわかっていても、とにかく賽銭箱を破って開けて中身を見てみたい賽銭ドロは「一種の病気」(警察官の話)なのかも知れない。
 神社は、修理と代わりの錠前を買う出費の方が高くつく。
 防ぐ手立ては考えつかない。
 また、当分の間は毎日こまめに、数十円の賽銭を回収することになる。

神主さんはみんなタフ

 神社庁支部の忘年会。いつもの顔ぶれ。
 敬遠されたか、ことしも若い神職の姿なく、年寄りばかり十五、六人。
 酒は強いし、大声でよくしゃべる。コンパニオン相手に、会場はたちまち盛り上がる。
 それなりに楽しい雰囲気である。

 
 それなりというのは、酒の勢いを借りて、斯界に対する熱い思いを吐露する者もいないし、神主の宴席はいつもそんな空気になることはない。昔からそうである。この夜も忘年会だから、それでいいのかも知れないが。

 昔、私のいた新聞社の報道部忘年会では、地方紙の行く末を憂い口角沫を飛ばす連中が何人かいて、つかみかからんばかりの、二次会の「頼もしい」ひと時もあっという間に過ぎ、気がつけば午前様なんて思い出がある。はるか遠い過去の話ではあるが。


 さて、2時間ほどの宴が終わると中締め。ウイークデーだったので、私ども数人の日帰り組は退席。宿泊メンバーは、どっかり腰を据え、二次会でラストまでさらに盛り上がる。
 年だ年だと言いながら、どの人も実に元気だ。うらやましい。
元気だから高齢になっても神職が続けられるのか。神職をやっているから元気なのか。そんな素朴な疑問がふと浮かぶ。
 日ごろ神職のブログを見ていると、どの方もまことにタフである。よく働く。健康で頼もしい神職のいるお宮は、ご神徳ますます発揚され、ご社頭もきっと賑わっていることだろう。敬服する。
 でも神社界、とりわけ私ども小さなお宮は、どこへ流れて行くのであろうか。行く末をただおろおろ気にするばかりである。