ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

とりとめのない話

 明日の月次祭(つきなみさい)の準備を済ませてから、向拝所付近の落ち葉をかき集め、炉(といっても地面に穴を掘ってブロックで囲んだだけのもの)で燃やした。

 雨上がりで、湿った落ち葉はなかなか燃え上がらない。

 「落ち葉を焚いた煙にむせ、涙誘われ泣いたとき……」だったか、若いころ口ずさんだラジオ歌謡「さざんか」の歌を思い出した。

 霜の季節にはちょっと早く、辺りの木々は黄褐色に染まって静まり返っている。

 新しいお神札お守もそろって、歳末準備は着々。いつもどおり一人作業で進んでいる。お守袋への「内符」入れだけは、氏子総代の所の若奥さんに援けてもらった。

 熊手や破魔矢など縁起物が入荷すれば、年越し参り、初詣を待つばかり。すでに新年の安全祈願など町内企業等から予約がはいっている。

 経理事務など社務所の事務仕事は、ひと月ほど遅れたままである。

 あれこれ思えば、うんざりである。でも、これで20年近くやってきた。これからもしばらく続くであろう。 

やすきにつく

 氏子のAさんが車を買い換えたので、昇殿され交通安全を祈願された。

 先ごろ追突され、車は後部を大破したが、幸いけがは免れたとの話。
 
 「新車にかえるたび交通安全祈願のお参りをし、車のお祓いをしてもらっているお蔭です。小難で済ませてもらった。」と頭を下げられた。

 「災難でしたね。でも、けががなくてよかった。」と私。

 40代のAさんは、きっと日ごろ周りに気を配りながら、安全運転に努めておられるから大難を逃れることができたのでしょう。それを神さまのご加護によるものと謙虚な態度で神前にぬかずく。

 Aさんのその心根に私は感服、一層気を入れて清祓の儀(交通安全祈願)を務めた。
「いつもていねいにお祓いしてもらってありがとう」Aさんは礼を述べて帰られた。

 神職として、人さまに喜んでもらえた時は、本当にうれしいもの。

 同時に、神さまとAさんとの「なかとりもち」として、自分の立ち居振る舞いは神のみこころ(神慮)にかなっているのだろうか、自分をさいなむことたびたび。

 日常生活で、幾つになっても、気がつけば「易きにつく」自分を見る。しかってもしかっても、つい労を惜しむ。手軽な道・方法を選んでしまう。

やっぱり動くべし

 まさに小春日和。穏やかで、暖かい一日であった。

 朝から七五三の祈祷が数件。3歳児と5歳児ばかり。ロビーや拝殿は人数以上のにぎやかさ。廊下でのかけっこには参った。

 この日、境外地の近隣公園で地元商工会青年部主催のイベントがあって、会場への通り道の一つとなった参道は終日大にぎわい。お蔭で神社に立ち寄ってお参りされる人も途絶えることがなかった。やはりイベントがあれば人が集まる。参拝者もふえる。

 ご老体ぞろいの氏子総代会だが、遠慮せずその尻をたたき、神社としても催し物を企画、商工会イベントに便乗して境内を賑わせるべきだった。残念。だが後の祭り。

 氏子総代に遠慮し過ぎるのかなあ。

はぐれ七五三

 秋はいつも駆け足だが、ことしは気配を感じる間もなく過ぎ去って行った。
秋の大祭も終わり、週末のきょう明日は「はぐれ七五三」の予約が数件。よんどころない事情があったのだろうと思うけれども、やっぱり15日までにお参りいただけたらと残念である。何事も自分の都合に合わせる……。そんな親と予約電話や祈祷受付窓口でやり取りしていると、その人となりがうかがえる。一事が万事である。


 今の世の中、季節感が希薄になったと言われる。それとともに人生の折り目もつけられなくなってしまった向きも多いようである。

 日本人の心は、どこへ流れて行くのだろう。

いつかどこかで

那智の大滝

 紀伊勝浦へ妻と一泊旅行。熊野那智大社や新宮の熊野速玉大社をお参りした。
 遊覧船で紀の松島めぐりや太地のくじら浜公園を楽しみながら、これは前にも来たことがある風景だ、いつだれと旅行した時だったろう、そんな思いに陥った。
 那智の大滝や熊野速玉大社は、神職の研修時代、巡拝旅行で訪れたような記憶が残っているが、島めぐりやくじら博物館は初体験のはずだ。
 初めての場所なのに、前にも来たような感じがする――こういうのをデジャ-ビュ(既視感)というそうだ。
 いや、ただの老人ボケだろうか。おれも年取ったからなあ……。
 それにしても石段は足腰にこたえた。ああ、やっぱり年なのか。

 お参りしたどのお宮もお寺も、参道や境内の清掃が行き届き清々しかった。
 それに比べわが社の境内は今朝も落ち葉の山。早や寒気を含んだ秋風に、間断なくパラパラ舞い落ちる桜の枯葉を恨めしげに見上げながら、ひとり竹ぼうき持つ手もついストップ。

郷に入っては郷に従え…

 地鎮祭に奉仕した。
 朝血圧を確かめたら100を少し超えていたので「大丈夫だろう」と心を決めて出かけた。4年前、心臓を患ってからは真夏真冬、氏子地域外からの出張祭典はほとんど近隣神社にお願いしている。
 今回の地鎮祭施主は顔見知りの氏子、神社からの距離も車で10分ほど。お断りしては申し訳ないと思ってお受けした。

 現地は、住宅地図にまだ載っていない田んぼ埋立地。施工業者とも初顔合わせ。略図を頼りに現地に到着すると、既に敷地の四隅に青竹(忌み竹)が立てられ、縄も張りめぐらされていた。
 「神主さん、シデ(紙垂)ください。4枚ずつぶら下げりゃいいんですよね」と待ち構えていたように業者が言った。続いて「盛り砂は、どの辺りにしましょ」と尋ねられたので場所を指示する。
 地鎮祭は、土地柄や施工業者によって祭場の設営が多少違ってくる。たとえばシデのつけ方にしても、業者によっては3枚と5枚、または5枚と7枚と奇数にこだわる方、きょうの施工者のように、敷地の四方に4枚ずつシデをつけると幸せ(四あわせ)で縁起がよろしいとおっしゃる人もある。
 「そちら様がいつもやっているように設営してくださればいいですよ」と快く申し上げる。時には、その場の雰囲気を見ながら「シデは、折り目のこちら側を外向きにナワにつけるのがよし、と私らは教えられています」それとなくアドバイスする程度。たいていの場合、郷に入っては郷に従え、である。
 
 祭典に参列された方々が、納得され満足されてホッと直会のさかずき(盃)を挙げられる、出張祭典はそんな締めくくりにしたいと努めている。

健康が一番

wantyann2007-09-25

 事務室の窓越しに見える植え込みに、赤と白の彼岸花が満開。
 サルスベリムクゲの陰に、たった数株。それでも参拝者の足がとまる。
 季節は正直である。
 先ごろから体調がしゃきっとしない。4年前から心臓を診てもらっていた病院の主治医の転勤に伴い、最寄の循環器科を紹介されるまま医師と薬が変わった。そのせいでもなかろうが、血圧が最高100を切る日がたびたび。動作がおっくうで、日々の事務も滞り勝ちのこのごろである。
 1日9種類飲んでいる血圧、心臓の薬を、医師の指示で、とりあえず1種類減らして経過を見ている。
 昨日も支部神職の祭式研修会があったが、数日前に事務局へ電話して欠席した。体調不良が理由であろうと、欠席通告は自分自身が終日不快な気分に陥っていやなものだ。
 やっぱり健康であることが一番、一番。