ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

神主さんはみんなタフ

 神社庁支部の忘年会。いつもの顔ぶれ。
 敬遠されたか、ことしも若い神職の姿なく、年寄りばかり十五、六人。
 酒は強いし、大声でよくしゃべる。コンパニオン相手に、会場はたちまち盛り上がる。
 それなりに楽しい雰囲気である。

 
 それなりというのは、酒の勢いを借りて、斯界に対する熱い思いを吐露する者もいないし、神主の宴席はいつもそんな空気になることはない。昔からそうである。この夜も忘年会だから、それでいいのかも知れないが。

 昔、私のいた新聞社の報道部忘年会では、地方紙の行く末を憂い口角沫を飛ばす連中が何人かいて、つかみかからんばかりの、二次会の「頼もしい」ひと時もあっという間に過ぎ、気がつけば午前様なんて思い出がある。はるか遠い過去の話ではあるが。


 さて、2時間ほどの宴が終わると中締め。ウイークデーだったので、私ども数人の日帰り組は退席。宿泊メンバーは、どっかり腰を据え、二次会でラストまでさらに盛り上がる。
 年だ年だと言いながら、どの人も実に元気だ。うらやましい。
元気だから高齢になっても神職が続けられるのか。神職をやっているから元気なのか。そんな素朴な疑問がふと浮かぶ。
 日ごろ神職のブログを見ていると、どの方もまことにタフである。よく働く。健康で頼もしい神職のいるお宮は、ご神徳ますます発揚され、ご社頭もきっと賑わっていることだろう。敬服する。
 でも神社界、とりわけ私ども小さなお宮は、どこへ流れて行くのであろうか。行く末をただおろおろ気にするばかりである。