ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

きさらぎのおもいで

 昼下がり、愛犬チワワ「マロン」と散歩に出かけた。

 

 空に雲なく、何だか「春、遠からじ」を覚える暖かく穏やかな日差しがまばゆかった。

  (でも、しばらくは油断は禁物。寒さのどん底は、まだこれからだ。)

 

 節分が過ぎ、2月11日の氏神様の獅子舞神事が終わると、私どもの地方には春の足音が日に日に近づいてくるのが実感できるようになる。

 

 

 私が生まれ育った村でも、毎年2月の11日は「じんじ(神事)」と呼ばれ、村中が仕事を休んで氏神様の例大祭を祝い合う、いわば「ハレの日」であった。

 

 私が小学生のころには、まだこんな厄年払いの風習が残っていた。

 親が厄年の年に生まれた子供を「捨て子」にするのである。

 両親はその子供を村はずれの辻(分かれ道。十字路)に捨てる。

 それを近くの親戚が拾い上げて15歳まで育てる。親戚が厄をもらってやる――という形だけの厄払いが残っていた。

 

 私どもの住まいから200mほどに母の実家があって、そこの長男の男の子を「拾って」いたのである。

 

 「じんじ」の日になると、我が家では心づくしのごちそうをつくって「捨て子」を迎え、にぎやかにおもてなしする。

 

 夕飯時が近づくと、長男の私が「捨て子」を迎えに行く。

 

 その子を座敷の上座に、私ども家族と談笑しながら食事をともにし、その後はゲームなどしてひと時過ごし、また私が送って行くのである。

 

 四つ年上のお兄ちゃんから面白い話も聞かせてもらえる、待ちに待ったうれしい一日であった。

 

 

 そんな村の厄払い風習もとっくになくなり、お兄ちゃんも先だって、病を得て、あの世へ旅立ってしまった。

 

 きさらぎ半ばの、小雨降る夕方、寒さに凍えながらも楽しい期待に胸躍らせながら、「捨て子」のお兄ちゃんを出迎えに行った遠い日の思い出。老いの胸にふとよみがえるのである。