さようなら、ターやん。 その2
翌日から、報道各社の取材競争が始まった。
当時、伊勢新聞の県警本部記者クラブ詰めはNキャップと私の2人。私は県政記者クラブのカバーもさせられていた。
ベテラン記者のNキャップが、事件の現地へ向かい、私は鑑識課や県の衛生研究所などの取材を受け持った。
そのころの伊勢新聞社の取材体制は、まことに弱体であった。取材記者が少ない。自動車など機動力がない。通信機材も他社に劣る、。郷土紙を標榜しながら、実のところ通信社からの配信に頼るところが大きかったように思う。
事件は、容赦なく大きく揺れ動く……。
普段、ターやんと私は、帰宅する近鉄電車の方向が途中まで同じなので、駅前の喫茶店で待ち時間をつぶすことが多かった。
あのころは、二人ともタバコをよく吸った。ウエートレスが何度も灰皿をかえにきてくれた。
取材の話、社の話などお互いよくしゃべり合った。若かった。
だから、電車にはいつも駆け込み乗車。
名張駅で降りたターやんは、その足でたいてい毎日名張警察署をのぞいてから帰宅するのを習慣みたいにしていた。昨夜もそうだった。(当時の名張支局には、記者が配置されていなかった)。
日ごろのその心がけが幸いして、今回の事件では、いち早く現場へ急行し、生々しい写真をスクープすることができたのである。
ターやんは、太っている割にはこまめによく動いた。各社のカメラマンとの小競り合いは毎度、時には怒鳴り合いもして平気な顔をしていた。
それだけ写真の仕事を愛し、報道カメラマンの使命に誇りを持ってあの時代働いていたのだと、私は今も田中芳朗さんを尊敬している。
さようなら、ターやん。
ターやんが、亡くなった。
新聞の訃報欄で見て、びっくり。
二度三度、読み返した。
「ターやん」こと田中芳朗さんは元伊勢新聞写真部員(カメラマン)。
年齢は私より一つ上、入社は2年先輩である。
なぜか気が合って「おい、ワンちゃん、行こうや」と私を誘い、しょっちゅう二人つるんで(連れ立って)取材に出かけた。
私が車の運転と記事、ターやんは太った体に重いカメラバッグをぶら下げ、年中タオルでごしごし汗をぬぐっていた。
ターやんはとても気前よく、毎日のようにコーヒーを飲みに行ったけど、伝票はいつも彼が引っつかんで私には払わせなかった。
私は、報道部会などそのときの雰囲気に応じて「田中さん」と呼んだが、ふだんは先輩に失礼だとは思いながらも「ターやん」と気安く呼ばせてもらっていた。
あの事件が起きたのは、52年前の昭和36年3月28日夜、その日私は本社の夜勤で、報道部の受話器を取ったら、現地一報、ターやんのやや上ずった声が飛び込んできた。
「集団食中毒みたいやけど、ようわからん……。公民館の現場は、えらい(ひどい)状況やで!。写真は撮ったけど…(出稿は)あしたでええやろう」と、叫びながらも、この時点ではまだそれほどあわててはいない様子だった……そんなように記憶している。
そのころ県警本部記者クラブ詰めだった私は、県警本部の当直に電話で確認したけど、まだ詳細は「わからん」と、無愛想な返事であった。
原稿の締め切り時刻が迫る。
整理部の夜勤デスク(私の隣町に今も健在)の判断と指示で、ターやんの現場からの一報だけを、私が十数行の記事にまとめ、まもなく輪転機は回り始めた。
これが「名張毒ぶどう酒事件」になろうとは〜…私も当夜は深刻に考えず、最終の近鉄電車に駆け込んで帰宅した。
目に若葉〜
三日続きの雨風で、境内林の装いが変わった。
サクラやクスなどの病葉がきれいさっぱり落ち果て、みずみずしい若葉に入れかわった。
春に三日の晴れなし。毎年この時期は、雨と風の日が多い。まるで世代交代をせかせるかのようによく降り、風も強い。
移ろう季節に背いて、相変わらず社務所に座っているのは、老体ひとり。
ここだけは世代交代いつのことやら……。
晴れ間を待ちかねて、境内の玉砂利に竹箒をいれ、再び雨粒が落ちてくると社務所に戻って黙々とパソコンに向かう。
時折、背を伸ばし、腰をたたき、しょぼつく目に目薬を落としながら、今日も無事、ご奉仕の一日が暮れそうだ。
お幸せに
朝、出仕してほどなく、意気のよい若者が窓口に立った。
にこにこ笑っている。憶えている。去年春、当神社で結婚式を挙げられたTさんだ。
「宮司さん、お久しぶり。今日は結婚一周年記念日で、お礼参りにきました。妻も一緒に来たかったのですが、勤務の都合で来れなくて残念がっていました……」と幸せそうな報告。
「健康で、幸せそうで何よりです」と微笑み返す。
彼「二世の気配がまだなんですよ」
私「お若いのだから、急がなくとも。せいぜい二人だけの生活をエンジョイされて、お金もがっちり貯められてから、お世継ぎに恵まれるっていうのもいいじゃないですか……」
去年の挙式当日、私は式を進めながら(この新婚さんは、きっと幸せな家庭が築けそうだ)と想像していたのを思い出した。二十年近く、神前結婚式に奉仕してきた体験からの直感かも。
終始にこやかに、新世帯一年間の日々を語るTさん。本当に幸せそうで、こちらもうれしく、一日中心弾んで過ぎた。
ご利益を……
50歳前後と思われる男性が、土曜か日曜日の朝一人お参りされる。
数ヶ月前、社頭で初めてお見かけしたころは軽く会釈を交わすぐらいであったが、近ごろでは私の姿を見ると、お神札授与所の窓口まで歩み寄ってきては、いろいろ話しかけてこられるようになった。
「毎日お参りして、願いごとすれば、神様は願いをかなえてくれるでしょうか」と、訴えるように尋ねられる。
先週もその前も、そして今週も同じことを聞かれた。
「それは、いつかお聞き入れくださるでしょう。そう信じてお参りすることでしょうね」と私は答えた。
その方のお話では、十年ほど前に突然奥様に家を出て行かれ、寂しい一人暮らしを続けているとのこと。
「家を飛び出して行った家内も、その原因が私との不仲ではなかったはずだから、いまごろは冷静になってきっと家に帰りたがっていることだろうと私は想像してます。帰ってきて欲しい」と打ち明けられる。
「奥様もそのように望んでおられるのなら、神様はきっとあなたのもとへ帰る何らかきっかけをお示しくださるかも……」私には、とりあえずそう慰めるしか思いつかなかった。
この男性のように深刻な方もいらっしゃれば、中には「神社へ日参すれば、必ず願いごとをかなえてもらえるか……」と半ば暇つぶしに聞いてくる人もある。これは神職に質問するというより、こちらを試してみる気持ちが働いていると思われるふしがうかがえる。
いずれにせよ、こういった問いには私なりに丁寧に答えるようにしている。