総代さん、誇りを持って!
街行けば元気なお年寄りが満ち溢れて?いる。まさに熟年。
夫婦旅行、ジョギング。梅の便りを耳にはさめば、カメラ片手に愛車で駆けつける。産直市に出向いてあれこれ試食して回る等々、毎日忙しいことである。それが生きがいという人もあろう。
そんな人たちも、地域の集まりと聞くと、とたんにしり込みする向きが多いという。自治会の役を逃げる、役員に選ばれるのがいやだからに老人会を敬遠する……。
氏神さまの氏子総代選出となると、さらに逃げ腰となる。極端な人は氏子をやめてでも総代の役回りから逃れようとする。
いやいや(嫌々)総代に選ばれた人ばかり寄り集まってもらっても、神社に活気は出ない。氏子組織力の低下は、やがて氏神さま存続にかかわってくる。
ことし一自治区で、自治区組織と全く切り離して、その地域の氏子だけの集いを立ち上げて、総代の選出を少しでもスムーズにしようと試みられている。新任自治区長さんの発案で、宮司の私とも十分話し合って今組織づくりを進めてもらっている。発足の日が待ち遠しい。
右向けば、右を向いたまま
私ども氏神さまは、氏子の地域代表である氏子総代の奉仕活動で維持されている。
宮司に就任したてのころ、古い総代から「立派な宮司がひとり逆立ちしたって神社はやっていけない。運営は、すべて氏子総代の働きいかんにかかっている」と冗談まじりのあいさつをされた。
内心(そんなこと、承知してるわい)カチンときたが「ごもっとも」と、相づちを打っておいた。
総代のお年は65歳から80歳前後。一国一城の主ばかり。市会議員もいるし、現役時代は役所の課長、病院の事務長等々おえら方も多い。
おっしゃることは、いちいちお説ごもっとも。でも、体は動かない。汗をかかない。氏子が減った、減ったと嘆くばかり。近所に新しい家が建っても、氏子入りを勧めようとはしない。氏子数は全くふえない。だから、神社はいつも貧乏暮らし。
大祭の準備が始まると総代長がいつもぼやく。「テント張って、テーブル並べて」と頼んでも椅子を出そうとしない。椅子が出ていない、と言うと「椅子出せとは言われなかった」との返事が返ってくる。右向け言ったら、いつもでたっても右向いたままの格好だよ……。
ひとりひとりの総代はみなさん立派な方なのに、集合するとさながら烏合の衆。総代長の統率力が足らないのか、宮司の不徳の致すところか。総代長と嘆き合う。
氏子総代といえば、昔は名誉職だったというに。今は大方が初めから逃げ腰。こんな総代方に動いてもらおうとするには――これはなかなか一筋縄ではいかない。
あちゃー、また、やられた
神宝庫の賽銭が盗まれた。施錠が引きちぎって破られ、真ちゅう製の錠前も消えていた。
賽銭箱の中身は、今回も銅貨数十円か多くて数百円であったろうが、人さまが祈りを込めてお供えした賽銭を盗む行為に腹が立つ。
賽銭箱を修理しても修理しても、しばらくするとまたやられる。これまで、そんな繰り返しである。
賽銭はわずかしかはいってないことがわかっていても、とにかく賽銭箱を破って開けて中身を見てみたい賽銭ドロは「一種の病気」(警察官の話)なのかも知れない。
神社は、修理と代わりの錠前を買う出費の方が高くつく。
防ぐ手立ては考えつかない。
また、当分の間は毎日こまめに、数十円の賽銭を回収することになる。
神主さんはみんなタフ
神社庁支部の忘年会。いつもの顔ぶれ。
敬遠されたか、ことしも若い神職の姿なく、年寄りばかり十五、六人。
酒は強いし、大声でよくしゃべる。コンパニオン相手に、会場はたちまち盛り上がる。
それなりに楽しい雰囲気である。
それなりというのは、酒の勢いを借りて、斯界に対する熱い思いを吐露する者もいないし、神主の宴席はいつもそんな空気になることはない。昔からそうである。この夜も忘年会だから、それでいいのかも知れないが。
昔、私のいた新聞社の報道部忘年会では、地方紙の行く末を憂い口角沫を飛ばす連中が何人かいて、つかみかからんばかりの、二次会の「頼もしい」ひと時もあっという間に過ぎ、気がつけば午前様なんて思い出がある。はるか遠い過去の話ではあるが。
さて、2時間ほどの宴が終わると中締め。ウイークデーだったので、私ども数人の日帰り組は退席。宿泊メンバーは、どっかり腰を据え、二次会でラストまでさらに盛り上がる。
年だ年だと言いながら、どの人も実に元気だ。うらやましい。
元気だから高齢になっても神職が続けられるのか。神職をやっているから元気なのか。そんな素朴な疑問がふと浮かぶ。
日ごろ神職のブログを見ていると、どの方もまことにタフである。よく働く。健康で頼もしい神職のいるお宮は、ご神徳ますます発揚され、ご社頭もきっと賑わっていることだろう。敬服する。
でも神社界、とりわけ私ども小さなお宮は、どこへ流れて行くのであろうか。行く末をただおろおろ気にするばかりである。
とりとめのない話
明日の月次祭(つきなみさい)の準備を済ませてから、向拝所付近の落ち葉をかき集め、炉(といっても地面に穴を掘ってブロックで囲んだだけのもの)で燃やした。
雨上がりで、湿った落ち葉はなかなか燃え上がらない。
「落ち葉を焚いた煙にむせ、涙誘われ泣いたとき……」だったか、若いころ口ずさんだラジオ歌謡「さざんか」の歌を思い出した。
霜の季節にはちょっと早く、辺りの木々は黄褐色に染まって静まり返っている。
新しいお神札お守もそろって、歳末準備は着々。いつもどおり一人作業で進んでいる。お守袋への「内符」入れだけは、氏子総代の所の若奥さんに援けてもらった。
熊手や破魔矢など縁起物が入荷すれば、年越し参り、初詣を待つばかり。すでに新年の安全祈願など町内企業等から予約がはいっている。
経理事務など社務所の事務仕事は、ひと月ほど遅れたままである。
あれこれ思えば、うんざりである。でも、これで20年近くやってきた。これからもしばらく続くであろう。
やすきにつく
氏子のAさんが車を買い換えたので、昇殿され交通安全を祈願された。
先ごろ追突され、車は後部を大破したが、幸いけがは免れたとの話。
「新車にかえるたび交通安全祈願のお参りをし、車のお祓いをしてもらっているお蔭です。小難で済ませてもらった。」と頭を下げられた。
「災難でしたね。でも、けががなくてよかった。」と私。
40代のAさんは、きっと日ごろ周りに気を配りながら、安全運転に努めておられるから大難を逃れることができたのでしょう。それを神さまのご加護によるものと謙虚な態度で神前にぬかずく。
Aさんのその心根に私は感服、一層気を入れて清祓の儀(交通安全祈願)を務めた。
「いつもていねいにお祓いしてもらってありがとう」Aさんは礼を述べて帰られた。
神職として、人さまに喜んでもらえた時は、本当にうれしいもの。
同時に、神さまとAさんとの「なかとりもち」として、自分の立ち居振る舞いは神のみこころ(神慮)にかなっているのだろうか、自分をさいなむことたびたび。
日常生活で、幾つになっても、気がつけば「易きにつく」自分を見る。しかってもしかっても、つい労を惜しむ。手軽な道・方法を選んでしまう。
やっぱり動くべし
まさに小春日和。穏やかで、暖かい一日であった。
朝から七五三の祈祷が数件。3歳児と5歳児ばかり。ロビーや拝殿は人数以上のにぎやかさ。廊下でのかけっこには参った。
この日、境外地の近隣公園で地元商工会青年部主催のイベントがあって、会場への通り道の一つとなった参道は終日大にぎわい。お蔭で神社に立ち寄ってお参りされる人も途絶えることがなかった。やはりイベントがあれば人が集まる。参拝者もふえる。
ご老体ぞろいの氏子総代会だが、遠慮せずその尻をたたき、神社としても催し物を企画、商工会イベントに便乗して境内を賑わせるべきだった。残念。だが後の祭り。
氏子総代に遠慮し過ぎるのかなあ。