ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

妻の く・ち・び・る

 ――人の一生は、「忍耐」に明け暮れの旅路か‥・なんて、今さらながらつぶやい

て、ため息ひとつ。

 

 11時を回ったので、ぼつぼつ昼のおかずを作らなきゃ。さぁて。

 娘が買い置きして行ってくれたレンコンがあるから、かつお節を入れて煮物でもつくっ

てみるか‥・。

 よっこらしょ、と腰を上げる。

 

 玄関の開く音がして、ごそごそと妻がシニアカートを外に出す気配。今ごろから――

穏やかな天気だから、近くを散歩する気だろう。余り気にしない。

 それは、妻は、私の姿が見えないとすぐ探し求めるくせに、自分はいつも黙って

、ふいっと表へ出てゆくからだ。

 

 レンコンの煮物が出来上がり、お膳の準備もできたのに、妻が帰ってこない。時計の

針は12時20分を回っている。

 (困ったやつだ)胸の内で少々いらだっていると、玄関の戸が開く音がして、妻が帰

ってきた。ガサゴソと買い物袋を下す気配。

 「買い物に出かけていたの?」私は、とぼけて,聞いてみる。

 「うん。散歩に出かけて、駅前の道を曲がったら店があったので、サービス品を買っ

てきた」と言い訳みたいにつぶやく。

 

 初めから買い物するつもりで財布を持って出かけたのであろう。たまたま店を見つけ

たなんて、嘘の言い訳見え見えである。

 

 「何か、いい物買ったの?」と袋をのぞいてみると、せんべいやらビスケットなど自

分の食べたいと思ったものを買ってくるのは結構だが、豚の細切れ、かぼちゃ、キャベ

ツの姿を見て、私は思わず「あじゃぁ!」。

 

 「母さんや、おとといも同じもの買ってきているんだよ。二人じゃ、とても食べきれ

ない‥」私は、頭をかかえる。

 「そうだった?。安いのでつい買ってしもうた」気にしない。平気な顔してござる。

 

 「歩いたから、のど乾いた!」冷蔵庫からアイスクリームを取り出し、飛びつくよう

にぺろぺろなめ始める。

 「母さん、お昼ご飯できてるんだよ」と呼びかけるも「暑いんだもん。あぁ、おいし

い、冷たくて‥」聞き分けのない子供である。

 

 私は、妻の唇をじっと見つめて、悲しくなった。ため息をつく。

 

 高校3年、学校の図書室で。国語の授業で習ったばかりの島崎藤村夏目漱石、志賀

直哉らの小説について、静かに、熱く語り合った、あの時のつやつや輝いて見えた唇

、放課後、校舎裏の里山を散策しながら、ラジオで聞いた抒情歌を口ずさんだ、あの控

えめな口元、ピンク色の唇‥‥。

 思い出すほど、何ともやるせない

 

 「「レンコン、おいしい。父さん、味付けうまくなったなあ」箸をとった妻のこの一

言で、私の心は一気に和んだ。

 「柔らかくって、味も十分しみている。母さんの口に合ってよかったなあ‥」

 「父さんのお陰で、長生きさせてもらえるわ」と妻。

 「毎日、朝・昼・晩、母さんと一緒に、自分の歯でご飯食べられて、ほんとにありが

たいことだなあ」

 

 ━━こんなやり取りの繰り返しに明け暮れる、今日この頃である。