ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

お疲れさま、母さん‥・

「今日は、何日?」

     (私は「新聞見りゃ、わかるだろ」いらだつ気持ちをこらえて)

「6月6日土曜日だ」と答える。

 妻は、朝食の支度を続けながら

「ゴミ出しはなしか‥・」と念を押してくる。

「そうだよ」

 私は、食卓の前に腰を下ろし、朝刊を広げる。

 

 このところ、こんなやり取りから、私どもの一日は始まる。

 ひと足先に起きて行った妻は、まず湯を沸かし、仏壇にお茶を供える。

 それぞれ8枚切りの食パン1枚にロースハム、目玉焼き。妻は牛乳、私はコーンスー

プかコーヒーでいただく。

 しばらくたつと、妻は、私の読む新聞をのぞき見しながら「今日、何日?」けろり聞いてくる。

  (さっき言ったじゃん)あきれながら、

「6月6日土曜日だよ」と、言い聞かせるようにゆっくり答える。

 

 

 腹立ててもしようがない――

 

 去年の夏ごろから、妻の物忘れが甚だしくなり、私の心配ごととなった。

 長年の得意料理が作れなくなって「忘れてしもうたわ」。一口飲んだら思わずえずく

ほど濃いみそ汁を作っても気にしない、等々。

 

 長い年月、朝から晩まで動き続けていた体が、近ごろは、朝の洗い物や洗濯を終える

と、早速ソファにどさッ座り込んで、テレビのスイッチを入れる。5分もたたぬうちに

うたた寝を始める――。

 

 朝晩電話してくる娘に話したら「お母さんも、長い人生の疲れが今どおっと出てきた

のよ――そう思いやってね、お父さん」と優しい言葉が返ってきた。

「そうだなぁ。その辺、わしも心得ているつもり‥・」

 

 高齢夫婦の暮らしには、いずれこういう事態に出会うであろうとは薄々予期してはい

たはずだから、あわてることも、腹を立てることもなかろう――。

 

 

 

 妻がやってきた家事の一部でも、私がカバーするしかない。かといって、いたずらに

私が出しゃばっては、長年家事を取り仕切ってきた妻のプライド――自尊心・自負心を

傷つけかねない。

 

 「母さん、お昼は頂き物のスナップエンドウの卵とじでも食べようか。あんた、作っ

てくれる‥・。じゃあ、わしは昨日買っておいたカマスの塩焼きにでも挑戦してみよ

う。」

 妻の仕事を、私が手助けする構えで動くことにする。

 

 ――かかりつけ内科の先生に相談、紹介状を書いてもらって、車で20分ほど、同じ市

内のYクリニックの「物忘れ外来」を受診、頭のCTや脳血流シンチ検査など経て、

の働きを改善するという「イクセロンパッチ」を処方された。

 脳の認知機能の衰えに、少しでもブレーキがかかれば嬉しいのだが‥・。

 

 

 今日にでも腰が曲がっておかしくない風情のじいさんが、台所でうろうろすること

になって七、八カ月。

 手作り総菜の味加減も、そこそこいい按配に出来上がるようになってきた――(と、

自画自賛してみる私)。

 妻のお手伝い、と言いながら、いつの間にやら、実質私に主導権が移り出した。

 そのことに気づくと「何十年ベテランの母さんの味には、とても追いつけそうもない

けど‥・」なんて妻を持ち上げながら、今日も夕飯の総菜一品が出来上がるのである・