ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

たかちゃんに会えました

 小・中学校の同級生、たか子さんが拙宅を訪ねて来た。

 50年振りだろうか、健やかなお姿が、何より嬉しかった。

 

 ひょんなことから、途切れていた縁(えにし)の細いひもがつながっての再会である。

 

 お互い、じいさん・ばあさんになっているが、記憶に残る幼顔はそのまま、開口一番

「(確かに)たかちゃんだ!」――「〇〇君も昔のまんまや、肌もつやつやして‥・」

笑いあったものである。

 

 話始めれば、たちまち小学校時代が昨日のように鮮やかによみがえる――。

 応接間のテーブルにお茶を出し終えた妻も同席して、話ははずむ。

 

 たかちゃんが生まれ育ったのは、標高550mの山頂に臨済宗の有名寺があって「霊

山」と呼ばれる朝〇山のふもとに広がる数十戸の集落である。

 

 小学校の分校があって、この地区の1年生は分校で1年間学び、2年生になってから、

数キロ歩いて本校へ通ってきた。だから、初めてたかちゃんの顔を見たのは小学校2年

生の春である。

 

 ぽっちゃりした、やや丸顔、色白で、服装も町の子みたいにちょっとあか抜けして、

目立っていた――私の記憶に残るたかちゃんの初印象である。

 

 近づいて話しかけたかったけど、何だか近寄りがたく、やがてはただ普通の同級生同

士といった存在の小・中学校時代であった。

 

 むしろ、卒業して何年か過ぎてから、何かのきっかけで(あの子、どうしているのか

な?)なぜか気になり、やるせない思いに沈む宵もあった。それだけで過ぎた。

 

 ――生まれ育った土地で、六つ年上の男性に嫁ぎ、女の子を二人生んで立派に育て上

げ、今は伴侶と、嫁いで姓の変わった長女夫婦、孫たちと同居、にぎやかに暮らしてい

るという。

 

 同じ町内に住む同級生の近況はもとより、他所に住む同級生らの消息もあれこれ話し

てくれた。つれ合いに先立たれた近所の男の同級生には、時々夕食の総菜を分けてやっ

たり、気の合った女の同級生とは一緒に餅つきしたり、野菜作りをしたり、何かと助け

合って生きがいのある日々を楽しんでいるという。

(手作りの、色とりどりのあられ餅と奈良漬けを手土産として下げてこられた)

 

 助け合って生きる――昔の集落のよい部分が、今も息づいているように想像され

るのである。

 

 生まれた土地で育ち、嫁ぎ、子を産み、老いては子や孫らに囲まれて、やがては一生

を終え、この地の土に還る――。

 

 そんなたかちゃんの生涯。人生いろいろ‥・というけど、たかちゃんのような人生も

あるんだなぁ――湯飲みを口に持って行くたかちゃんの指先のささくれが、しば

し私の瞼の奥に残った。