ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

父さんには、似ないわ!

妻が見ているテレビの歌番組をのぞいたら、三浦祐太郎さんが歌っている。

「百恵ちゃんに似てるなぁ」思わず私の足が止まる。

「やっぱり親子やわ」妻の笑い声が返ってきた。

 

親、兄弟は、顔や性格、くせまでよく似るといわれている。DNAというものであろう。

 歳を重ねるほど、ますます似てくるようだ。

 

 

 長女が生れた時、立ち会っていた私の実母が「間違いなく、〇〇(私の生まれ在所

名)の顔やわ」つぶやいたものである。大きくなるにつれ「お母さん似ね」と言われる

こともあるが、大方は「お父さん、そっくりね」と評される。

 

 私も「気早なところなど、俺の若い時分そっくり。まるで鏡を見ているみたいで、

嫌になる‥・」と妻に漏らすことがある。

 

 せんだっても、大学の教壇で、白衣を着た娘が、臨床栄養学科の授業する様子を、

同僚先生が撮ってくださったビデオを見たが、にこにこ笑みを浮かべながら、ひと言

一言はっきりゆっくり、抑揚をつけながらしゃべる姿は、私が神社で氏子様にお話し

するビデオの姿そっくりだわい」――妻と笑い合ったものである。

 

 

 娘は、月に一度は顔を見せに帰るし、ほとんど毎朝晩、車から電話でその日の出来事など話してくれる。

 

 せんだっての休日、母と娘は台所で、楽しそうに、仲良く、夕食の総菜を作っている

気配。二人のやり取りを、居間で聞くともなく聞いていた私は(そのうちに雲行きが怪

しくなってくるだろう)と予感していた。

 

 「いらん」――「いらん!」娘の拒否する声が、次第に大きくなり、がちゃん、ガチ

ャンとヒステリックに扱う食器の触れ合う音も聞こえる。

(そら、始まった)私は、母親と娘のそんなやり取りを聞きたくもないから「母さん、

〇〇(娘の名)に柿やリンゴをやりたいというあんたの気持ちはよく分かるけど、

〇〇が欲しくないと言っているんだから、二度すすめてほしくないと言ったら、それ以

上すすめるのは止めておきな」と、いつも仲裁にはいる。

 

 そこは、やはり母と娘。10分もたたないうち、おだやかに仲良く、軽口をたたき合っている。

 

先日、朝の電話の時「近ごろの母さん、言うことすること、益々くどくなってきた。

おじいちゃん(妻の父親)、そっくりだわ」と嘆いた。

 

「やっぱり、そう感じたか。父さんは、じいちゃん(私からは養父)と毎日一緒に暮ら

してる思いや。親子だわ、まるで"娘二代目″みたい」私も同感である。

 

 「お前さんも、父親に似るなよ」と言ってみたら、オウム返しに「父さんには、似な

いわよ!」――きっぱりやられたものである。

 

 私としては、それは初めから予期していた返事で、(娘の心の中は、言葉ほどでもな

いわな)と、ほくそ笑んだ?次第である。