ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

心の罪・業(ごう)・心の傷‥‥

 広島は8月6日、長崎は8月9日、ともに原爆投下(被爆)から73年の「原爆の日」。

 

 原子爆弾が永久に使われないことを、ひたすら祈るばかりである。

 

 澄み切った夏空を眺めていると、私は藤山一郎さんが歌った「長崎の鐘」(古関裕而作曲。昭和24年発売)を思い浮かべ、思わず口ずさむ。

 カラオケでも歌う大好きな一曲である。

 

 映画にもなり、映画館のスクリーンでも見たし、DVDも持っている。

 

 作詞はサトウ・ハチローさん。歌詞の中に「こころの罪を打ち明けて‥‥」という一節がある。

 前後にロザリオの鎖とかミサの声、十字架といったフレーズがあるから、ふだん何気なく歌ってきたものの、「召されて天国へ旅立った」永井隆博士の奥様はクリスチャンであったことが想像される。

 

 昔見たアメリカ映画で、どんなシーンだったか忘れたけど、主人公が瀕死の友人にささやいたセリフ「人はそれぞれ十字架を背負って生きているんだ‥‥」が今も記憶に残っている。

 

 

 また、人の業(ごう)という言葉も、日常の会話で使われてきた。

 

 これらの言葉はキリスト教や仏教の考え方に結びついていくようである。

 

 「こころの傷」という言葉の使い方もある。

 

 私も心の片隅に小さな古傷を秘めている。

 

 普段は意識しないけれど、「長崎の鐘」の「こころの罪を‥‥」を口ずさむと、そのこころの傷もチクリと痛むことがある。

 

 

 あれは新聞記者駆け出しのころ、特ダネをあせって人の心に傷をつけてしまったのである。

 

 当直のある冬の夜、所轄警察署をのぞいて平穏を確かめ、本社へ戻る途中ふと赤ちょうちんの前に通りかかった。

 

 当直室へ帰っても冷たい部屋が待っているだけ。つい誘われるようにふらふら足を踏み入れ、好きでもない熱かんを注文した。

 他に客の姿はなく、手持ち無沙汰のママさんがヤマ勘を働かせて「兄さん、いまごろ‥‥そこのI新聞の記者さん?」と話しかけ、しばらくすると「耳寄りな話聞かせてあげようか」ともらしてくれた。

 

 公務員の今でいう「パワハラ」のネタ。ただし被害者は、役所と取引ある弱い立場の一般人で、その顔を殴打したというものである。

 

 翌日から関係者を回って取材した。正式に告訴されていること、当事者、上司などから確認を取り「本人も反省しているので、何とか穏便に」と上司から頭を下げられたのも無視して事実だけ記事にした。もちろん関係者の名は匿名である。

 

 このパワハラ事件?は、起訴されなかった。

 

 

 日がたつにつれ、私の心は痛んだ。社会に少しでも警鐘鳴らすほど価値のある記事であっただろうか‥‥。当事者(加害者)の心と将来に傷をつけただけに終わったのではなかったろうか。

 

 

 この記事をきっかけに、その後私は「人さまの心に傷をつけないよう。できれば心温まる明るい話題を求め」一層慎重に記事を書くことに努めた。