ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

人間のすることに・・・

 新聞の社会面を開いたら「裁判官 うっかり。実名で呼びかけ」の見出しが目に留まった。

 性犯罪の被害者が誰であるかわからないように、被告を匿名で審理したH地裁の公判で、裁判官自ら被告を名字に「さん」付けで呼んでしまったという。

 

 裁判官だって人間、チョンボ(失敗。ミス)することあるわなぁ~。きっと腹の底でべそをかいていたであろう裁判官の表情を想像して、何だか思わず親しみを感じた。

 

 あれは昭和40年代初めであったか、古い話だが・・・。

 私の勤める地方紙I新聞が、婦女暴行事件の判決公判記事で、加害者・被害者両方の実名を紙面に出してしまったことがある。

 

 それは社会面の片隅に、小さな見出しで「女性の敵に有罪判決」。ベタ記事であったが、社内は朝から大騒ぎ。被害者側から「この責任、どう取ってくれるんだ」怒りは当然。幹部らは頭を抱えて「えらいこっちゃ」と大あわて。編集局長らが被害者宅へあやまりに飛んで行った。

 

 (その結末がどうなったのか、私は聞いていない。)

 

 編集局内で原因究明が始まった。

 その頃、会社は労働争議が長引き、社員の士気は衰え、多くが浮足立っているように私は感じていた。

 

 記者が書いた原稿は、通常まず報道デスク(部長または次長)が入念に目を通してチェックし、リライトの後整理部デスクの手へ。整理部デスクから社会面とか地方面とかの担当に渡す。担当部員は見出しを付けて紙面に割り振り、原稿を印刷局へ下ろす。

 当時の印刷局は、まず文選工が原稿に沿って活字を一本一本拾い 、組み上げた活字版をゲラ(活字版を収める箱)に入れて試し刷りしたもの(ゲラ刷り)を校閲部へ上げる。

 校閲が赤筆を入れた初校は再び活版部へ。誤字を拾いなおし、校閲が二度目の赤筆。大刷りが出来ると、校閲・整理・報道各部のデスクが最終チェックし、輪転機の部署へ送られる。

 

 ところが問題の原稿は、幾つもの目をすり抜けて、輪転機に乗ってしまったのである。

 

 裁判所の取材は、市政記者クラブの担当であったが、キャップは当日労組の執行委員会に参加しており、見習い期間中の新人が他社の記者にくっついて裁判所を取材し、たまたま当日の判決を記事にした。裁判所では報道用として、被害者の住所・名前など伏せて、判決のあらましを発表してくれていたが、当の新人記者は、各社と裁判所広報との雑談の陰で、取り調べ調書をちゃっかりのぞき見し被害者名までメモして、”勇躍”記事にしたもののようだ。

 わずか十数行の原稿だが、新人さんは長い時間かけて書き上げ、編集局が一番忙しい夕方のどさくさに紛れて報道デスクの席へ提出したのである。

 

 I新聞始まって以来の”大誤報”いや大チョンボは、ここから始まったのである。

 

 その時刻、報道部・整理部両デスクは役員室に呼び出され、労組がストライキにはいった場合の善後策について意見を求められ、しばらく席を離れていた。

 

 紙面づくりを急ぐ整理部員はしびれを切らし、報道デスクをのぞいて、積まれてあった原稿の束を確認もせず引っつかみ、勝手に自分の判断で社会面に割り振って紙面を埋めたのである。信じられない行為である。

 

 べた記事とはいえ、爆弾を抱かえたみたいな原稿は組織のすき間をスルーしていったのであった。

 

   個人でも組織でも、人のすることに「完全無欠」はないと戒められている。そんなところから「人事を尽くして天命を待つ」と続く。

 (I新聞の出来事は論外で、人事を尽くした結果とは言えない。組織のゆるみは怖い。)

 

 人生、いろいろ経験するものである。