ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

見られてる

町内では銀行へ行っても、スーパーへ出かけてもよく誰かにあいさつをされる。ほとんどの場合、その人がどこで出会ったどなたなのか思い出せない。向こうは私を覚えている。
日曜午後、家内にお供して衣料品スーパーに出かけたら「こんにちわ」すれ違った30代女性に声をかけられ「あれ、どなた…」家内にとがめられ?た。さあーて、誰だったか。とっさに思い出せず、軽く頭だけ下げて返礼した。
帰り道、車を運転しながら突然あの女性の顔が浮かんだ。
「思い出した。さっきの人、いつもお供え物買い行く神社近くのスーパーのレジ係さんだった」と私。
「お父さん、たくさんの人に顔知られてるから悪いことできないわね」家内が私の顔をうかがうような目で笑った。
言われなくとも、神主の仕事に就いてからはおとなしくしている。ふだんから自分の言葉遣いや立ち居振る舞いに気をつけているつもりだ。どこでどんな人に見られているかもわからないし、いつか再びどんなご縁があってお世話になる知れない。つい身だしなみにも気を配る。車の運転だって慎重だ。「ワン公の運転、かなり荒っぽいのう」同乗先輩カメラマンのびびる声を聞き流し取材現場へアクセルいっぱい踏み込んだ――あれは、はるか昔の私。
実際は見られていなくとも、いつも見られているつもりで気を張るのはいいことだ。ともするとぐうたらに陥りがちな自分の身を正す手ごろなムチになる。