ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

素人の目線

「神社だより」を読むのが楽しみ…

時々そんなお声に励まされます。当神社では、広報紙を2千部ずつ年5回発行し氏子さまの啓発に努めています。もちろん私の手づくり。この6月は発行月で、氏神さまのお祭りや催し物案内から神事の意味に至るまでパソコンでB4紙面ぎっしり。
若い神職の中にも、やたら難しい業界用語や言い回しで悦に入ってる?人が多い神社界ですが、私は一般の人がさあっと眼を通してすうっとわかる文や言葉を心がけています。

「歌のない歌謡曲

記者時代、夕刻社へ帰って原稿用紙に向かう時、ラジオの「歌のない歌謡曲」にダイアルを合わせ、季節ものの軽い記事などは首で調子を取りながらシャープを走らせるのが習慣みたいな時期があった。
隣り合わせの整理部から「定刻だ。ワンちゃんのお楽しみ時間が始まった」とヤジと笑い。声の主は左翼系の理屈っぽい先輩で、いつか屋台で飲んだ時「歌謡曲聞く奴は低俗だ」と笑った。お主の振り回す薄っぺらな社会主義理論よりよっぽどましだわい、と思ったが反論しなかった。
あのころ、われわれ報道部は月に1回記事の研究会を開き、義務教育を終えた人が理解できる原稿を書け、とデスクに発破をかけられた。専門知識は磨け、でもそれを振り回すな、とも指導されました。

今もずうっと「低俗」のままです。

世間様と同じ素人の目線でものを見、笑ったり泣いたり怒ったり。時には人より半歩前に立ってみたり。それが新聞記者の基本であり、神職の心構えであっていいじゃないか、なんて思ってます。スタート地点から一歩も進んでいないのでしょうかね。