ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

色白で、スマートで、純情で‥・

 「色白で、スマートで、純情で――爽やかに、ニコッと頬染めて、優しい声で(ワン

ちゃん)さん、て呼びかけてくれた、あのK子さんに会いたいなぁ‥・」と、つぶや

く。

 すかさず「そばにいるやないの―」ちょっと逆らうような妻の声が返ってく

る。

 私が「K子さんとは、似ても似つかぬおばあじゃ‥・ね」はぐらかして、二人で大

笑いする。

 たわいないような会話で、妻の笑顔を誘い、楽しかった高校時代でも思い出させよう

――一日に何回も試みる、これもその一つ。そんな今日この頃である。

 

 このところ、妻の体力・知力がめっきり衰えた。物忘れが甚だしい。「今日、なん

日。何曜日?」教えても、すぐに忘れ、数分たたないうちに「今日、なん日やった?」

あっけらかん聞き返してくる。

 日常、この一事が万事である。

 ここで腹を立てちゃいけない、じっとこらえる。毎日である。

 時にはそっと、しばし妻の顔をのぞく。ふびん――かわいそうに思う。気が滅入る。

 

 Yクリニックの「物忘れ外来」で受診、パッチ剤を処方してもらい、もう10か月も毎

朝貼り替えを続けているが、効能書きどおり、頭への血の巡りは改善しないのか、物

忘れにストップはかかりそうもない。

 

 プライド――気位が高いのは、変わらない。

 知り合いの女同士おしゃべりしていて「奥さんが、ずうっと食べごとしてるんでしょ

う」なんて聞かれると「それはもう――このごろは父さんにも時々手助けしてもらうこ

とあるけど‥・」平気で答えている。

 

 実は、話は逆で、毎日私が昼、夜の食事を作り、妻は野菜刻みを手伝ってもらう程度

なのだ。

 

 私はいつも「母さんは長年お勝手で鍛えてきただけあって、野菜を刻むのも手慣れた

もんだ。わしの、この不揃いな切り口見てみな。切られた大根の方が呆れて、笑うとる

わ」とか言って、何事も二人助け合ってやっているんだと、持ち上げているのである。

 

  この先を思うと、気持が不安に揺れ動く。明日は明日のこと、その時考え対処しよ

う。

 

 これまでの道のり、私の心を支えて来てくれた妻である。これからは私が妻の支えに

ならなけれ――。

 

 よぼよぼしてはおられまい。(さぁて、昼は紅サケを焼いて食べたから、夕飯は鶏の

ももにするか‥・)「美味しい」と喜ぶ妻の口元を思い浮かべながら、冷蔵庫をのぞ

く。

 

 

 

 

 

 

 

 

つながりにくい遠隔サポート

 8月の初め、7年使っているPC「東芝ダイナブック」にトラブル?。

 突然、全く動かなくなってしまった。

 数日、あちこちひねくり回してみたものの、所詮はど素人。お手上げ。

 

 dynabookあんしん点検窓口に電話して、助けをお願いした。

 

 終始、親切丁寧に応対してくださり、数日後、無事健やかな姿になり、手元に帰っ

てきた。

 

 ありがたかった。

 

 一方は、ドコモの「らくらくスマートフォンme」。

 6月下旬、ガラケー携帯から機種変更した。

 

 ――「ただいま年配者向けに、初めてスマホ割引中。操作で分からないことは「あん

しん遠隔サポート」で専門のオペレーターがサポートしてくれるから安心です‥・」

 

近くのドコモショップから、メールや電話で何度も勧められ、(ガラケーで十分間に合

っているが、まあ、頭の体操だと思って、新しいものに挑戦してみるか――)そう思い

切ってスマホに替えた。「あんしん遠隔サポート」(月額料金400円)も契約した。

 

 早速、分からない操作が出たので「あんしん遠隔サポートセンター」に電話した。

 

 予想していた通り、電話はつながらない。「コロナ対策のため、つながりにくくなっ

ている‥・」と断りのアナウンスも。

 

 時間をおいてかけ直したが、つながりそうもない。翌日もつながらなかった

 私の電話した時刻が、たまたま、あいにく込み合っていたのか。間が悪いということ

なのか――。

 

 とりあえず、あきらめた。

 

 胸の奥には、モヤモヤが残ったまま、としておこう。

 

 ――ドコモさん、電話屋さんでしょ。スムーズにつながるよう、何とか考えてくださ

いな。

 

 

さば水煮缶で ”絶品炊き込みご飯” 作りました!

 老体にも、出来ました!。

 

 ブログ「居酒屋HANA」さんを覗くと目にするメニュー、いつも物欲しげに眺める

ばかり。

 

 私にも、何か一品でよいから、いつかこんな美味しそうな料理が出来たらなぁ‥・。

 

 腰も曲がるこの歳まで ”男子厨房に入らず” 何てうそぶいて、包丁を持つことすら

殆んどなかった。

 このところ、そうも言っておられない家庭事情に‥・。

 

 朝食は、妻が焼いてくれたパンとハム、目玉焼きを、私はコーヒーで、妻は牛乳でい

ただく。

 

 さぁーて、昼飯と晩のおかずは、何を食べるか――。ほぼ毎日、思案の種である。

 

 ふと、いつだったかブログ「居酒屋HANA」さんで目にした「さば水煮缶レシピ」

を思い出し、早速PCを開いて「しなやかに~ ポジティブに~」https://87diary.com/)

をクリック。

 

(炊き込みご飯なら、私でも真似できるかも)と、ひとり合点して、冷蔵庫をのぞい

た。

 

 米2合、さば水煮缶1缶(190g)、しょうが、大葉、すりごま。醤油、酒、みりん、

バター、レシピに従って材料をそろえる。

 

 野菜庫から、にんじん、ごぼう、しいたけ、こんにゃく、青ネギをつまみ出し

「母さん、これ刻んでよ」と力を借る。

 

 何でも二人で助け合って作る――なるべくそんな形を取るよう気を付けている。

 

 出来上がった‼。

 

 まず、仏壇のご先祖さまにお供えする。私ども長年の習慣である。

 

 2合のご飯は、二人で昼・夜2回で食べ切れそうもない。

 妻が親しくしている近所の一人暮らしY子さんにおすそ分けする。

 

 名古屋の知人からお中元にいただいた「守口漬」を小皿に。(夜はマイタケのお吸い

物を作った)

 

それからやっと、妻とテーブルに着く。

 

「こりゃ、美味い」私も妻も、顔がほころぶ。

 

 味加減ー甘からず辛からず。炊き上がりーふっくら。マイナス点は、しょうがが冷蔵

庫で日がたち過ぎていたので香りも抜け、役目を果たしてなかった。(あらかじめチュ

ーブのしょうがを追いたしていたけどだめ。)

 

”絶品”にはほど遠い炊き込みご飯ではあったが、「結構、うまかったなぁ、母さん」

 おっと、これは自画自賛

 

f:id:wantyann:20200804121631j:plain

[さば水煮缶を使った炊き込みご飯。守口漬けを添えて]

 

ありがたいことだなぁ‥・

  「三度三度、毎日、二人そろって、ご飯を美味しくいただくことが出来て、ほんとに

ありがたいことだなぁ、母さん。」

 

「ほんと。父さんも私も、自分の歯で噛めるから、何を食べても美味しいわ。」

 

「母さんは歯も丈夫だし、目はメガネなしで新聞読める。耳もわしよりよう聞こえる。

百まで生きられるぞ。――このところ、おつむの方が、ちょいお疲れになってきたよう

やけど‥・」

 

「アハハ!、何でもよう忘れる。そのうち、朝起きたら、そばにいる父さんに″あん

た、だれ?″って言うかもわからんよ。」

 

「ぼつぼつながら、お互い自分の足で歩けて、からだも特に痛いところもないし、ほん

とにありがたいなぁ。」

 

 ″ありがたい″という言葉が、素直に、真っ先に出てくる今日この頃である。

 

 

 リタイアして早や7年余、その年月分 老いの齢(よわい)を重ねた。

 

 ――欲がなくなった。古い言い方なら「灰汁(あく)抜け」するということであろ

う。出世欲や金銭欲なんてさらさらない。つましく暮らせば、何とか食べていけそう

だ。それで結構。

 前立腺がんを患って、女性を見る目も変わってしまったし‥・。

 

 俗気がなくなった――。それは、男に生気をみなぎらせていた源泉が、枯れて

しまったということでもあろう。

 

 

 還暦過ぎたら、息子に身代譲って、さっさと楽隠居――なんて言ったのは、昔の話。

 

 長生きの養父母を介護しながら、二人の子供を育て上げ、巣立ちを見守り、やれや

れ、と思ってふと気がつけば、自分らもいつの間にか老いの域。

 

 でも、差し当たって今日・明日、私どもの身の回りを看てくれるものはないのであ

る。もとより、それは覚悟の範囲内で、あわてることではない。

 

 そろり、生きて行けばよいのである。

 

 『残り人生をスケジュールに合わせて動くなんてとんでもない。私は毎日、出来心

で‥・』(2016年7月31日付、中日新聞コラム。女流画家篠田桃江さん103歳のお言

葉)そんな生き方を真似てみる。

 

 ともすれば「怠惰」に身を任せたくなりがちな私。「毎日出来心」にすっかり

なじんでしまったようである。

 

 本を読みたくなれば、何時間でも読みふける。その気が起これば、ためらわず散歩に

出る。ふと興味がわいたら、ちょっとだけ新しいことにも挑戦してみる――等々。

 

 そんな明け暮れに、″気がとがめなくなった″ 老身の 昨今である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お疲れさま、母さん‥・

「今日は、何日?」

     (私は「新聞見りゃ、わかるだろ」いらだつ気持ちをこらえて)

「6月6日土曜日だ」と答える。

 妻は、朝食の支度を続けながら

「ゴミ出しはなしか‥・」と念を押してくる。

「そうだよ」

 私は、食卓の前に腰を下ろし、朝刊を広げる。

 

 このところ、こんなやり取りから、私どもの一日は始まる。

 ひと足先に起きて行った妻は、まず湯を沸かし、仏壇にお茶を供える。

 それぞれ8枚切りの食パン1枚にロースハム、目玉焼き。妻は牛乳、私はコーンスー

プかコーヒーでいただく。

 しばらくたつと、妻は、私の読む新聞をのぞき見しながら「今日、何日?」けろり聞いてくる。

  (さっき言ったじゃん)あきれながら、

「6月6日土曜日だよ」と、言い聞かせるようにゆっくり答える。

 

 

 腹立ててもしようがない――

 

 去年の夏ごろから、妻の物忘れが甚だしくなり、私の心配ごととなった。

 長年の得意料理が作れなくなって「忘れてしもうたわ」。一口飲んだら思わずえずく

ほど濃いみそ汁を作っても気にしない、等々。

 

 長い年月、朝から晩まで動き続けていた体が、近ごろは、朝の洗い物や洗濯を終える

と、早速ソファにどさッ座り込んで、テレビのスイッチを入れる。5分もたたぬうちに

うたた寝を始める――。

 

 朝晩電話してくる娘に話したら「お母さんも、長い人生の疲れが今どおっと出てきた

のよ――そう思いやってね、お父さん」と優しい言葉が返ってきた。

「そうだなぁ。その辺、わしも心得ているつもり‥・」

 

 高齢夫婦の暮らしには、いずれこういう事態に出会うであろうとは薄々予期してはい

たはずだから、あわてることも、腹を立てることもなかろう――。

 

 

 

 妻がやってきた家事の一部でも、私がカバーするしかない。かといって、いたずらに

私が出しゃばっては、長年家事を取り仕切ってきた妻のプライド――自尊心・自負心を

傷つけかねない。

 

 「母さん、お昼は頂き物のスナップエンドウの卵とじでも食べようか。あんた、作っ

てくれる‥・。じゃあ、わしは昨日買っておいたカマスの塩焼きにでも挑戦してみよ

う。」

 妻の仕事を、私が手助けする構えで動くことにする。

 

 ――かかりつけ内科の先生に相談、紹介状を書いてもらって、車で20分ほど、同じ市

内のYクリニックの「物忘れ外来」を受診、頭のCTや脳血流シンチ検査など経て、

の働きを改善するという「イクセロンパッチ」を処方された。

 脳の認知機能の衰えに、少しでもブレーキがかかれば嬉しいのだが‥・。

 

 

 今日にでも腰が曲がっておかしくない風情のじいさんが、台所でうろうろすること

になって七、八カ月。

 手作り総菜の味加減も、そこそこいい按配に出来上がるようになってきた――(と、

自画自賛してみる私)。

 妻のお手伝い、と言いながら、いつの間にやら、実質私に主導権が移り出した。

 そのことに気づくと「何十年ベテランの母さんの味には、とても追いつけそうもない

けど‥・」なんて妻を持ち上げながら、今日も夕飯の総菜一品が出来上がるのである・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

養母(はは)のレシピ

 台所の戸棚で探し物をしていたら、奥の隅から、厚紙に書かれたレシピが出てきた

 菓子箱の厚紙をB5の大きさに切って、ボールペンで走り書きされている。亡き養母

の書いた字だとすぐ分かる。クリップで3枚止めてあった。

 「酢豚」と「マーボ―豆腐」のレシピで、(手帖)と出所まで書き添えてあった。

(手帖)とは「暮しの手帖」のことで、養母は創刊号から定期購読し、書架に並べて自

慢にしていた。

 

 養父の病気・手術のため、30代半ば、不本意ながら新聞社を退職した私は、養父

の営む日用雑貨の卸し業(と言っても実に小規模)を引き継ぎ、妻は養母の化粧品

小間物店を継ぐことになった。

 一時期であったが、近隣の会社など職場に出張して、化粧品を売らせてもらった。妻

とメーカーから派遣される美容部員を、私の運転するライトバンであちこちの職場に送

り迎えし、売り上げ増を図った。

 

 このように、私と妻が外売に出かけている間は養母が店番をしてくれた。

 私どもが美容部員と担当セールスを伴って帰宅するのを待ちかねて、養母は「今日は

店にこんなお客が来て、こう対応し、これだけ売った」と真っ先に話してくれた。

 

 養母は、お客の合間に、ある日は「酢豚」を、別の日は「マーボー豆腐」を作っ

て待っていてくれて、美容部員、担当セールスともども夕餉の食卓へ誘った。彼ら

また「毎度遠慮なくご相伴させていただきます」と、いつも養母のつくる夕食を期

待しているようであった。

 

 養母は、時には「冷蔵庫には鶏肉しかなくて‥・。どんなお味になったや

ら‥・」と言い訳しながらも、それは「酢豚じゃなくって″酢かしわ″ですね。実に

美味しいですよ。おばあちゃんは店も頑張ってくれるし、ありがたいことです」と

持ち上げるセールスの言葉を期待している笑顔であった。

 

 大正生まれの養母は、「気位の高い人」であった。

 ふだん、種がわりの弟妹らから「ねえさん、姉さん」と持ち上げられている女学

校、看護学校上がりの、T紡績で保健婦や舎監の経験を持つ“えらい人”であった。

 ――それだけに、商売1年生の養子に、負けてはいられないのだろう‥・、なんて私

も当時は邪推していたようだ(確執だったかも‥・)。

 

 その養母も逝って早や6年。今は、養母との快いと感じた部分だけを思い出すことに

している。

 ――養母の″気位を込めた″とさえ感じたあの夕食の「酢豚」は、とても美味しかっ

た。中華料理店の味と比べても遜色なかろう――そんなふうに、あれこれ。

 

 妻が、昨年夏ごろから急に気力・体力ともに疲れが目立つようになり、私との会話も

時々心もとなく感じて、はっと不安が胸をよぎる。

 

 長い年月、妻は寸暇を惜しむかのように働き通しであった。さすがに疲れたのであ

ろう。そう思えば、いささかでも私が妻をカバーするほかない。

 まず毎日の食事。総菜なんて、これまでほとんどまともに作ったことがない。

 しかし、そうも言っておれない事態になってきたようだ。厨房に入ることに決めた。

 養母の時代と違って、今はパソコンを開けば、どんな素材を使ったレシピでも簡単に

探せる。不慣れな自分でも手におえそうな簡単なレシピを選べばいいのである。

 

 「美味しいね」と和む妻の口元を想像しながら、フライパンと格闘する私の今日この

頃である。

 そして、在りし日、養母が調理の「酢豚」を囲んで談笑する私ども夫婦と化粧品販社

の社員を眺めて、満足そうな養母の柔らかな笑顔が、なぜかふと思い浮かぶのである。

 

 

 

 

 

たかちゃんに会えました

 小・中学校の同級生、たか子さんが拙宅を訪ねて来た。

 50年振りだろうか、健やかなお姿が、何より嬉しかった。

 

 ひょんなことから、途切れていた縁(えにし)の細いひもがつながっての再会である。

 

 お互い、じいさん・ばあさんになっているが、記憶に残る幼顔はそのまま、開口一番

「(確かに)たかちゃんだ!」――「〇〇君も昔のまんまや、肌もつやつやして‥・」

笑いあったものである。

 

 話始めれば、たちまち小学校時代が昨日のように鮮やかによみがえる――。

 応接間のテーブルにお茶を出し終えた妻も同席して、話ははずむ。

 

 たかちゃんが生まれ育ったのは、標高550mの山頂に臨済宗の有名寺があって「霊

山」と呼ばれる朝〇山のふもとに広がる数十戸の集落である。

 

 小学校の分校があって、この地区の1年生は分校で1年間学び、2年生になってから、

数キロ歩いて本校へ通ってきた。だから、初めてたかちゃんの顔を見たのは小学校2年

生の春である。

 

 ぽっちゃりした、やや丸顔、色白で、服装も町の子みたいにちょっとあか抜けして、

目立っていた――私の記憶に残るたかちゃんの初印象である。

 

 近づいて話しかけたかったけど、何だか近寄りがたく、やがてはただ普通の同級生同

士といった存在の小・中学校時代であった。

 

 むしろ、卒業して何年か過ぎてから、何かのきっかけで(あの子、どうしているのか

な?)なぜか気になり、やるせない思いに沈む宵もあった。それだけで過ぎた。

 

 ――生まれ育った土地で、六つ年上の男性に嫁ぎ、女の子を二人生んで立派に育て上

げ、今は伴侶と、嫁いで姓の変わった長女夫婦、孫たちと同居、にぎやかに暮らしてい

るという。

 

 同じ町内に住む同級生の近況はもとより、他所に住む同級生らの消息もあれこれ話し

てくれた。つれ合いに先立たれた近所の男の同級生には、時々夕食の総菜を分けてやっ

たり、気の合った女の同級生とは一緒に餅つきしたり、野菜作りをしたり、何かと助け

合って生きがいのある日々を楽しんでいるという。

(手作りの、色とりどりのあられ餅と奈良漬けを手土産として下げてこられた)

 

 助け合って生きる――昔の集落のよい部分が、今も息づいているように想像され

るのである。

 

 生まれた土地で育ち、嫁ぎ、子を産み、老いては子や孫らに囲まれて、やがては一生

を終え、この地の土に還る――。

 

 そんなたかちゃんの生涯。人生いろいろ‥・というけど、たかちゃんのような人生も

あるんだなぁ――湯飲みを口に持って行くたかちゃんの指先のささくれが、しば

し私の瞼の奥に残った。