ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

あなた、どなたでしたっけ?

 病院に入院すると、自分の名前のはいったリストバンドをはめられる。

 患者を取り違えたり、医療ミスを防ぐための手立ての一つであろう。

 院内のいろんな場面で、名前を確認される。

 

 

 ――50歳を越えたころ、痔がだんだん悪化し、脱肛を手術することになり入院した。

 オペに先立って、二十歳前後の看護師さんが肛門の周りなど陰部の毛を剃りに病室へ

来た。

 初めてのことで、私はとても恥ずかしく、思わず身を固くしてしばし耐え忍んだ。

 この看護師さんの顔と名前は当分忘れないぞ、と思った。

 

 数年後、また脱肛がひどくなり、同じ病院へ入院した。

 今回の毛ぞりはおばさん看護師であったが、手術のあと、この前の看護師さんが当番

で回ってきてくれた。

「あなたのお顔、憶えてますよ」と話しかけたら「ごめんなさいね。患者さんの顔ぶれ

は入れ代わり立ち代わりですから、ほとんど憶えてません。夜中にわめいたり、暴力を

振るったりして看護師を困らせた患者さんのお顔は、当分は憶えてますが‥・」という

言葉が返ってきた。

 

 いかにもそうであろうな。言われてみれば、私も毎日神社で初宮詣や七五三、家の新

築工事の安全を祈る地鎮祭などお祝いごとのご祈祷を何百件も奉仕しているけど、願主

様の名前やお顔ほとんど覚えてないものね。

 スーパーなんかで「あの時はありがとう」ってお礼言われても(誰だったかな?)

思い出せないもの――。

 

 

 二十歳代半ば、新聞社へ転職して間もなく、先輩にバーへ誘われた。I新聞本社から

数百メートルのアーケード商店街の裏通りに飲み屋が軒を連ねていた。

 私はあまり飲めないので、一杯の水割りをなめながら、不慣れなバーの薄暗い

雰囲気を珍しそうに何となくなじんでいた。

 半年ほどたった春の宵、ふといつかのバーのドアを押す気になった。

 カウンターに腰を下ろすと、ママさんが「おや、お珍しい。I新聞の〇〇さんでした

ね」私はびっくりした。でも、嬉しかった。あの時先輩が私の名前をママに教えたよう

だったが、覚えていてくれたんだ‥・。

 

 私はこの時、人の名前は忘れず、相手を〇〇さんと呼びかけることの大切さを知っ

た。その後は、取材先で〇〇課長とか〇〇さんとか名前で呼びかけることを習慣づけ

た。

 

 

 30代の半ば、養父が病に倒れ、手術することになった。養父に何かあったら家業を

引き継ぐと約束した経緯がるので、私は不本意ではあったが、新聞社を退職し、妻と

小さな化粧品店を引き継いだ。

 

 私はまず顧客の顔と住まいを覚え、来店されたお客は出来るだけ「〇〇さま」と声を

掛けるよう努めた。

 

 

 ――廃業して早や丸6年たった今でも、スーパーなどで当時の顧客に出合うと「〇〇

さん、お変わりなく何よりです‥・」と挨拶する。

 妻は「父さん、よう憶えているわ」と感心するが、私は「そりゃ忘れないよ。DMや

お誕生祝いを何十回も手書きしたからな‥・」と答える。

 

「私は、お客さんの名前も顔も大方忘れてしもうたわ」と妻。

 

「近ごろの母さんは、何でもみんな忘れるようになってしまったなあ」と苦笑す

るばかり。

 

 朝起きて、そばにいる私に突然「あんた、誰?ってなことにだけはならないでよ」

――しばらくは大笑いするしかない老夫婦でした。