ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

すれ違った人…

 夕方、日が落ちてからチワワと散歩に出かけた。

 自宅の裏を走る都市計画道路の歩道を、12歳の愛犬の歩みに合わせてゆっくり、いつ

もの道筋を行く。

 

 西空のあかね雲をぼんやり眺めながら、ふと考えごとをした時、誰かすれ違ったよう

な気配で我に返り、つい振り向くと、その人もチラッと振り返り、目があった途端サッ

サと行き過ぎてしまった。二十歳過ぎと思われる見知らぬ女性。

 それだけの話である。

 

 夕方にそんな瞬間があったせいか、夜ふとんに寝転がっていると、何となく遠い昔の

記憶が蘇ってきた。

 

 

 あれは――東京世田谷の学生寮から玉電に乗って渋谷へ。そこから徒歩でK大学へ

通っていた頃のことである。

 ある夕方、渋谷駅から道玄坂辺りをそぞろ歩いていたら、若い女性とすれ違った。

 それは一瞬であったが、私の眼の底に焼きついた。顔色はやや薄黒い(※)印象なが

ら、パッチリ開いた目が、陽に輝く朝露がように、きらっと爽やかだった。

 

 ぽっと出の私には、なぜかこの時、これこそ東京の女性だと、颯爽と雑踏を縫って行

く後姿を、新鮮なものを見る目で、しばし追っていた――。

 

 人さまのちょっとしたしぐさやふとした顔の表情などは、ずっと永く印象に残るもの

のようである。

 

 初めて就職した図書館で、「大学出ているのに、こんな文字読めないの」と皮肉られ

た初老のおばちゃん事務員の目つき、新聞社に転職し、編集局の雰囲気にまだ馴れない

頃、帰りがけ突然「今から夜勤代わってくれや」何となくいじめられた先輩の口元のゆ

がみ‥・等々、何かのきっかけで、五十数年前の出来事でも、ふと思い出せばいやぁな

気分になる。

 

 

 小さい時分のことも覚えている。小学校2年、担任のメガネをかけたおばさん先生

は、いつもスカートの腰のあたりに白いハンカチを下げていて、屋外授業で汗ばむと、

ハンカチで額の汗をそっと押さえる。白く細い指先だった。

 

 ふだん怖い顔の教頭先生が、休憩時間に廊下ですれ違いざま突然ひょっとこの顔をし

て見せてくれた。私にだけ、先生の優しい、おもしろい面を見せてくれた気がして嬉し

かった――。

 

 思い出せば、きりがなさそうだ。

 

 どれを思い浮かべても、懐かしい。

 でも、その時代に帰りたいとまでは望まない。

 

 幼いころ・若き日へのノスタルジア――それでいいのだ、と思う。

 

 さて、ひょいと気がついたのだが、「ところで私は、恵比寿神(お金の神様)といつ

どこですれ違ってしまったのかな?。それとも恵比寿神とは出会わなかったのか

も‥・」預金残高を思い浮かべいるうちに、眠ってしまったようである。

 

     (※)のち1974年映画デビューした女優佳那晃子さんの顔色に似た印象。