ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

妻の悲鳴

 「父さん、買い物につき合ってくれる・‥」しゃべりながら台所から廊下を横切って

居間へはいろうとした妻は、2センチほどの段差につまづきばたっと倒れ込んだ――折

よくそこに立っていた私が胸で受け止める格好になって無事に済んだ。妻は朝刊の折り

込み広告を見ながら、居間へ来ようと気配りがおろそかになったようだ。

 

 「あれぇ、母さん小さくなったなあ‥・」思わず、妻の背に回した手に力がはいっ

た。

 「苦労かけたからなあ‥・」何センチ背丈が縮んでしまったのだろうか――。背中を

軽くとんとんと叩くようにいたわり、ぎゅっと抱きしめて、離れた。

 

 

 ――あれは‥・結婚して半年後、妻は懐妊した。

 でも、いろんな事情・悪条件が重なってか、2カ月たたずに流産した。

 妻を慰め、体の回復を見守るとともに、私自身も身を慎んだ。

 1年ほど過ぎて、妻は再び妊娠した。本人はもとより、私も同居の養父母も気を付け

ていたが、″流産くせ″でもついてしまったものか、また体調があやしくなってきたので

ある。

 

 ある夜、私が新聞社から帰って、遅い夕食を食べていると、妻が「出血してき

た‥・」と青い顔。

 そりゃ、大変。「病院へ急いで‥・」と養母。

 私は直ぐ、かかりつけの産婦人科に電話で容態を伝え、タクシーを呼ぶ。

 15分弱で到着。妻を抱え込むようにして玄関に駆け込む。

 院長先生と看護婦(師)さんが待っていて、直ぐ手術室へ。

 

 私は、がらんとした待合室に1人待機した。とっくに外来診療の終わった院内は静ま

り返っている。

 

 間もなく、手術室からうめき声がもれてきた。次第に悲鳴に代わる。

 妻の声だ、と気づいた私は、もう、とてもその場に居たたまらなくなって玄関から外

へ50mばかり逃れ出た。

 

 間を見計らって待合室へ帰ってみると、すでにひっそり元の静けさに戻っていた。

 院長先生が私の前に来られて「無事終わりました。かなり出血していたので麻酔が使

えず、やむなく苦痛に耐えてもらうことになりました。お大事に」と丁寧に説明され、

奥へはいって行かれた。

 妻の出血がひどく、やむを得ず麻酔を使えぬまま「そうは(掻爬)」された模様であ

る。

 

 ほっとしたものの、私自身あたかも心臓をカミソリでシュッと切られるみたいな痛み

は、しばらくは治まりそうもなかった。

 

 私は、妻に「よーく頑張ってくれた。十分養生しような」と、ひたすら労わるばかり

であった。

 

 その後、妻は男女二人の子供を私どもに授けてくれた。

 振り返れば、長い道のりをともに歩いてきたものである。

 妻は30代半ばで勤めを辞め、養父母の営んでいた小売店を継ぎ、子供を育て上げなが

ら養父母の面倒を見、無事に最期を見守ることができた。

 三度も脊髄圧迫骨折をしている妻は、養母の介護の無理がたたり、あっという間に背

中が曲がってしまったのである。

 

 6年前、私が神社を退職するのに合わせるかのように養母が他界、小売店も整理し廃

業。やっと老夫婦の余生の明け暮れが始まったのである。

 

 ――身丈の縮んでしまった妻をそっと抱きながら、「母さんありがとうな。長生きし

てくれよ、な」と心に祈るばかりである。