ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

「――愛しているよ‥‥」

 1か月ぶり顔を見せた娘と夕食を囲んだ。

 妻が作った野菜の具たっぷりのみそ汁や根菜の煮物を食べた娘は「久しぶり母さん

の味、美味しかった。ごちそうさま」普段外食に頼りがちで、野菜の摂取が少ないか

ら、たまに家に帰ると母親に野菜料理をねだるのである。

 「母さん、私のマンションへ来て、毎朝ご飯作って欲しいわ」と笑う。

 

 娘が食後、食器を洗いながら「お父さんらは、食事中ちっとも会話がないよな」

 私「子供の頃から、食事中はしゃべるな」としつけられてきたからな」

 娘「なら、せめて美味しかったよ。ごちそうさまぐらい言ったらどうなの」

 私「このごろ大抵毎日、母さん、おいしかったよって言ってるよ。今夜は言いそびれ

たけど‥‥」

 

 いえほんと、です。小さい時分から、食事の時には「いただきます」「ごちそうさ

ま」は家でも学校でも厳しく言われて育った。大人になっても、ずうっと習慣で、たま

に声に出さなくても、口の中では「ごちそうさん」忘れずちゃんと言ってきた。

 これはお前たち娘も息子も同じ。小さい時からちゃんと習慣になっているじゃない

か。

 

 

 退職して、毎日家にいて、腰をかばいながら(※)食事を作る妻の動きを目にすると

「老いたなあ」と気づき、先ごろから自然と素直に「母さん、旨かったよ。ありがとう

な」と口に出るようになった。

  (※)妻はテニスで一度、ダンスで一度、階段を転げ落ちて一度の計3回も脊髄圧

     迫骨折をし、今も外科医に週2回の注射を受けている。

 

 だから、たまには私なりに、パソコンで簡単なレシピを見てちょっとしたおかずを

作ってみたり、スーパーやコンビニの総菜を買いに走って、妻の仕事を軽くするよう気

を配っているつもりだ。

 

 

 さて、翌朝、娘がいつものように出勤途上の車から電話してきた。

 ひと言ふた言雑談の後「お父さん、ご飯の後美味しかったよ、だけでなく、母さん愛

しているよ、の一言を添えてみて。母さんきっと喜ぶわよ。ボケ予防にもなるし――」

と言った。

「そんな照れくさいこと、今さら言えるかいな」と私。

 

 電話を切った後、しばらく思案した。

 

 その日の昼食後、思い切って、何気ない振りして「母さん、今日も美味しかったよ。

ごちそうさま」そして「――愛しているよ‥‥。姉ちゃんが言えと言ったからな――」

言ってみたものの、おお 照れくさい。

 

 妻は「父さん、ありがとう」嬉しそうに答え、そして笑い転げた。

 やはり妻も照れたのだろうか。

 

 さて、一度言ってしまえば、その後はそれほど照れることもない。ほとんど毎食後

「母さん、ごちそうさん。――愛してるよ」すらすら言ってのけては、実は腹の中でま

だまだ照れまくっている私なのだ。