ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

山のあなたの 空遠く・‥

 

 春風に誘われ、愛犬マロン(チワワ、12歳)と散歩の足を延ばして、町はずれに行っ

てみる。

 眼下に広がる田んぼのかなたに、ふるさとの山並みがかすんで望まれた。

 

 

 ――――私の生家のすぐ前から、田んぼを隔て数百メートル辺りに山並みがでん

と横たわっている。

 子供心に、あの山の向こうには、何があるんだろうか‥‥ときどき思った。

 

 中学生になったころ、村の青年さんらが口ずさむ「山のかなたにあこがれ

て‥‥」や「若く明るい歌声に‥‥」など明るい歌詞を耳にした。ラジオからも歌

が聞こえた。

 高校生時代には「山のあなたの空遠く、幸い住むとひとのいう――」こんな詩に

も、心が揺れた。

 きっと、山のかなたには何かがあるのだ。いつか、あの山の向こうへ行って見よう。

 あこがれた。

 

 何年か後、その稜線の登山道をたどる機会があった。望めば、山の向こうには、さら

に山並みが――。

 がっかりしたけれども、いやいや、あの山々をもう一つ越えれば、その向こう側に、

きっと何かが‥‥。

 

 

 ――――アフターファイブ、映画を見た後はネオン通りをそぞろ歩くのが楽しみだっ

た。

 淡い恋でも生まれそうな春の宵、ちょっと何か起こってもよさそうな、そんな期待に

胸ときめかせながら‥‥。

 でも、やっぱりいつも何も起きることはなかった。

 夜の早い田舎町、しょんぼり自転車を踏んで家路をたどるのが日課みたいな二十歳半ばであった。


 新聞社に転職すると、がらり生活が不規則に。好きな映画ともご無沙汰。

 それでも仕事の上がりが早い夜など、きっと何かありそうな予感がして雑踏に飛び出してさまよってみるのである。

 何も起こらなかった。結局今夜も同僚と誘い誘われて屋台の安酒、そんな一時期もあった。


 

 今、人生のまとめを急がねばならない齢に達したというのに、なまめくような春の宵など、未だにあのころの気持ちを引きずりながら、さ迷い始めそうな自分に気づいて、あきれるのである。

 

 昔、夜の町をさ迷い歩いたのも、いまなお山のかなたにあこがれるのも、おんな

じ。私の人生そのものが、何か得体の分からないものを探し求め歩く旅路なのかも

知れない。

 

 山のあなたの空遠く――。

 

 

 

「山のかなたに」(西條八十作詞、服部良一作曲、歌・藤山一郎。昭和25年)

青い山脈西條八十作詞、服部良一作曲、歌・藤山一郎。昭和24年)

山のあなたの空遠く――」(ドイツの詩人、カール・ブッセの詩)

 若山牧水の短歌「幾山河越えさり行かば――」も好きである。