ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

[さあ、‥‥]とか「ただ、‥‥」だとか、ちょっと何だか‥・

 夜、テレビの歌番組を見ていて、ちょっと気になった。

 

 女性の司会者。「さあ、今週の特集は、昭和〇〇年のヒット曲特集です。さあ、さて

どんな年だったのでしょう」「さあ、まずはこの歌から‥‥」

 

 “くせ“なのか、しゃべり始める度に「さあ、」が出る。

 

 「さあ」は、視聴者を番組に誘い込むのに発する語として使うのなら、冒頭の一回で

よろしい。

 

 連発されると、何だか急(せ)き立てられているようで、落ち着かない。

 

 明るく、てきぱきと、爽やかで気持ちの良い司会ぶりだが、「さあ、」「さ

あ、」だけは、私には少々耳障りに感じられた。(この歌謡番組は、その前にも時々見

ており、いつも気になっていた)

 

 女性司会者さん、ごめんなさい。

 

 こちらは「天気予報」。

 

 たとえば「〇〇県南部も、平野部はおおむね晴れるでしょう。ただ、山沿いではにわ

か雨の所があるかも‥‥」

 

 「ただ、」は、前の事柄について補足したり、理由を説明する”接続詞“である。

 

 数分の天気予報の中で、何度も耳にすると「そこ、省けないの」と漏らしたくなる。

 

 昔よく聴いたラジオのプロ野球中継でも。

 

 たとえば、これもその一つ。いつごろからであったか、あるアナウンサーが「7回表

の大ピンチを、よくしのぎ(凌ぎ)ましたね。」何てしゃべったら、その後あちこちの

民放の実況放送でも「しのぎ」が好んで使われるようになった気がする。

 安易なしゃべり方を毎度耳にすると、興がさめる。

 

 素人の私が、プロのアナウンサーや司会者のしゃべった言葉の端を耳に引っかけて、

とやかく言うのは――申し訳ないことです。

 

 ――書く方でも。

 私が10年ほど勤めていた地方紙I新聞でも、記事の書き方を見直し、勉強し合った時

期があった。

 

 そのころ、よく使われていた、例えば「――このイベントのねらいは、町の発展につ

なげようというもの」とか「事故の原因は、双方の不注意によるもの。」といった具合

に「もの」で記事を終わる。

 

 キリが良さそうな感じで、新人、ベテラン問わず、安易に「もの」を使っていた。

 

 この「もの」を使うのはやめよう――を努力目標にし、間もなく紙面から「もの」は

消えてしまった。すっきりした。

 

 また、「――と見る向きもある。」だとか「――と言われている。」で、記事をまと

めたがる記者もいた。

 

 私も使った。デスクに呼ばれ「ワンちゃんよ。――見る向きっていうのは、どんな向

きじゃ。お前さんかい」。ある時は「――言われているってぇいうのも、言っているの

はあんたお独りさんですかいな」なんて、ニヤリと顔を見ながら、チクリチクリ注意さ

れた。

 

 少しでも良い記事を書こうと切磋琢磨していたけど、この研修会、やがて労働争議

起こり、明日の朝刊発行さえ危ぶまれる泥沼闘争の渦の中へ消えてしまった――。

 

 このような事柄は、普段一般の生活に別に差し障りになることもない、どうでもいい

ような話です。

 

 暇を持て余す老体が、たまにこんな与太話でもつぶやいて、昔の出来事を思い浮かべ

ながら、ひとりノスタルジーのようなものを感じているのでしょうよ。大目に見てくだ

さい。