ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)

故郷の廃家

 「故郷は遠きにありて思うもの‥‥」(後略)

 

 これは室生犀星の「小景異情」という詩の冒頭部分で、内容は寂しい詩なんだそうである。

 

 

 私のふる里は、市町村合併で今では私の住まいと同じ行政区域内――同じ市内である。

 指呼の間と言ってもいいほどの距離で、車をゆっくり走らせても二十数分で実家に着く。

 

 

 旧盆中の道路混雑を避けて先日、妻を同乗させ、墓参に里帰りした。

 

 実家の数百メートル前に、大きな真っ黒い和牛がどっかり横たわるような重厚な山並みが、昔のままの姿で出迎えてくれたようで、懐かしかった。

 

 近くても、ふる里はいいものだ。

 

 

 昼飯を馳走になり、実家を守る弟夫婦と世間話は尽きず、数時間あっという間に過ぎた。

 

 

 亡父の姉が嫁いでいたOO家(親戚)の後継ぎが先ごろ他界し、後には住む人もなく、閉ざしたままであるという。

 

 

 OO家は男4人、女1人の子供があったが、みんな県外に出て一家をなし、4男が家を継いで2人の女の子を授かっていたが早くに妻と離婚、男手一つでその娘2人を育て上げて嫁がせ、後は男のひとり暮らしであった。

 

 

 訃報を伝えても駆けつける兄たちの姿もなく、近くに住む濃い親戚だけで葬儀を済ませ、位牌は祖霊社(神式葬儀社)に永代供養をお願いしたという話である。

 

 

 子どもの頃、「〇〇兄ちゃん、遊んで‥‥」と、私より一つ年上の3男を訪ねると、奥の居間にどんと腰を据えた父親が「おお、〇〇(私の名前)来たか」とニッコリ迎えてくれたもの。嬉しかった。

 

 その父親の没後は、長男から次々と家を出て行ってしまい、末弟の4男がやむなく残って家を守っていたのであった。

 

 

 敗戦後の「家」の崩壊――時代の流れ、とはいえ、私どもの年代にはちょっと心寂しい気がする。

 

 

 帰りの道すがら、村の中ほどに立つOO家に目をやれば、玄関も雨戸も閉ざれたままであった。

 

 

 「幾年ふるさと来てみれば‥(中略)荒れたる我が家に住む人絶えてなく――」(故郷の廃家)を思わず口ずさんでいた。