ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)

――お恥ずかしや・・・

   妻に探し物を頼まれ、倉庫のあちこちを探し回っていたら、肝心の頼まれ物は見つからず、代わりに私の懐かしいものが出てきた。

 

   大きな段ボール箱に詰め込んだ新聞のスクラップブックが数十冊と4冊の文芸雑誌。

   スクラップブックは、私が新聞社に在職中書いた連載企画記事がほとんど。文芸雑誌は高校時代に図書クラブが編集発行したものである。

 

    その文芸雑誌のうち3冊は週刊誌大でガリ版刷り、1冊はB5の活版印刷という体裁である。

 

 私が高1の時創刊されて、夏休みの宿題で書いた私の小説?も掲載されている。2年生の時第2号ができて、それにも私の小文が載っている。

 

 今読み返せば、何とも幼稚な文章の羅列である。

 

 第3号、第4号は高3の時代。この文芸雑誌の編集がしたくって私は図書クラブにはいって、部長として思うままにふるまった。

 

 第3号に発表した、男女の愛の遍歴?をテーマにしたつもりの私の短編だが、印刷所が気を利かせて、勝手に男女が抱擁する挿絵をでかでかと載せたので、さあ大変‥‥。

 

 納入された雑誌を開いて、私が青くなって震えたのはもちろんだが、学校内も騒然。朝一で校長室へ呼び出された。

 

 「こりゃ、何だね。挿絵は君が指示したのか――」

 「いいえ、全く身に覚えのないことで‥‥」いきさつを説明する。

 「小説の中身も問題だね。中でも″コオロギの交尾のような交わりを繰り返し‥‥”っていう表現、こりゃなんじゃ。そもそも、君はコオロギの交尾を見たことあるのかね」と校長から大目玉を食った。

 

 農村に生まれ育った私だって、コオロギの交尾何て見たことない。恋愛の経験はおろか、女性と一対一で話したことすらない”純情”少年である。

 

 過去に読んだ小説の表現をあれこれ思い出しながら、全く想像で書いたものであった。

 

 校内に出回ってしまったものは仕方がない――ということで、いつの間にかこの問題、何となく終息した。(私が真面目な?生徒会会長だったからかも)。

 

 

 私は今でも、このページを開くたびに「うひゃぁ、お恥ずかしや」と我ながら五体隅々まで真っ赤になって、読むのをためらってしまうのである。

 

 かといって、この雑誌は捨てられない。多感だった時代の「思い出の品」として、捨てるのが惜しいのである。

 

 そんなわけで、今までスクラップブックと一緒にしまってきたのである。

 

 

 私は国語が好きだということもないし、作文が上手でもなかった。

 中3の時、修学旅行で奈良・京都方面へ出かけた感想文を書くよう国語の先生からクラス全員に宿題が出された。

 

 「上手に書けました」と先生は私の作文をみんなの前で朗読して聞かせてくれた。

 

 

 その時から、にわかに私は作文好きになった。

 

 

 「好き」と「上手」とは別物。私は、どうやらそこのところ思い違いしてしまったようです。

 

 高校1年生で小説を試みたり。高3になると、もういっぱしの文学青年気取り、ううんと背伸びして、臆面もなくペンを走らせていたのであろう。

 

 あの時代の文章を見ると、本当に消え入りたいほど恥ずかしくなる。

 でも、あの頃はあのころで、深刻にテーマを追求し(――したつもり)、かっか燃えながら書いたのである。

 

 

 新聞記者になって毎日書くことが仕事になっても、満足に書き上げたと思える記事は一本もない。

 

 書いたその時は「やった、書けた」と思って出稿するのだけれど、後日読み返すと「もっとこう表現すりゃ良かったなあ・・」といつも悔やむのであった。

 

 

 ――自営業に転職すると、数字相手に電卓をたたく毎日。文章には縁遠くなってしまった。

 

 

 その後、神職の勤めをいただくと、再び文章を書く機会が多くなった。年5回発行する神社の社報づくりは、パソコンで記事を書き、編集して印刷所へ回した。

 

 記事は何度も推敲したつもりでも、さて出来上がった紙面を見ると、相変わらず(ここはこう書けばよかったのに)と後悔ばかり。満足したことは一度もなかった。

 

 

 いつまでたっても自分の文章に満足できない私。情けない。

 

 そう思いながら、やっぱり私はこれからも拙文を披露して行くのであろう。