ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

インフルエンザにかかって、亡き母を思い出す

 2月1日の早朝から下痢が始まった。咳も連発する。

 

 風邪かな?と様子をうかがいながら過ごす。

 

 三日目、トイレに駆け込む間が開いてきたので、町内のかかりつけ内科へ車を走らせる。

 

 「普通の風邪みたいですね。整腸剤を5日分出しておきましょう。」やれやれ、インフルエンザでなくて良かった。

 

 その翌日から、妻がゴホンゴホンやり出した。

 

 「おれの風邪うつしたのだろうか?。」医者にかかるのは早い方が良い。

 急いで妻を車に乗せ、内科を訪れる。

 

 「お二人ともインフルエンザ陽性の反応が出ました。」綿棒で鼻の奥の粘膜を採取して試薬に反応させた結果を見せながら、「ご主人の方はダブルパンチですね。」二人ともタミフル5日分をもらって帰宅した。

 

 風邪が流行っているので、外出を控え、来客もなかったのに、どうやら妻が二三日前近くの食品スーパーでインフルをもらってきたもののようだ。

 

 ともかく1週間はなるべく家にこもって、身を慎むことにした。

 

 インフルエンザのA型だと内科の先生は説明されたように記憶していたが、どうもB型のようで、私も妻も度々トイレに駆け込み、二三日は咳も競演さながらであった。

 

「やっと代休がもらえたので‥‥」長女が心配顔でやってきた。毎朝夕電話をかけてきて、容態を聞いてくれてはいたが、やはり老いた両親が気がかりになったのであろう。

 

 せきに生姜のど飴、体を温めてと甘酒、温野菜の煮物、焼き立てのパンなどなど買い物袋一杯ぶら下げて「からだの具合、どう?」。

 

 さらに「からだ大事に!大好きなお母さんへ」と自筆のメッセージを添えたシャボンフラワーの鉢植え(写真)をテーブルに飾って、

「これ、カゼ見舞い。お母さんへと書いてあるけど、お父さんにも共通。じゃあね‥‥。」

 サッサと帰って行った。

 

 いつもなら何か珍しいおかずを手作りし、夕食を一緒にして、ひととき愛犬チワワと戯れ、ゆっくりしていくのに、今日はマスクも外さず、お茶一杯飲まずに、ハイさよなら‥‥さすが臨床栄養学の先生らしい。”インフルエンザ桑原クワバラ””うつっては大変だと、きちっとけじめをつけるところはつけて早々に引き揚げて行ったものであろう。

 

 「なんだかんだ言いながら、親を心配してくれているんだな。嬉しいね、母さん。」

 私どもほんわか、ほのぼのとした気分をかみしめ、妻も「いい子たちに恵まれたね」つぶやいたのであった。

 

 

 そんな娘との前夜のやり取りが心の奥に残っていたのだろうか、次の明け方、私は亡き母の夢を見た。

 

 私は小学1~2年生の頃、しょっちゅうおなかを壊して学校を休んだ。

 

 母は忙しい野良仕事から帰ると、冬場なら湯たんぽを沸かせて「おなかに抱えて温めな」とふとんの中へ押し込んでくれたり、温かいくず湯(その頃くず湯は手に入りにくく、大抵は片栗粉の代用であった)を作って飲ませてくれたりした。

 

 

 おふくろに親孝行せずじまいだったなあ‥‥いまさら嘆いても何にもならないが、おなかを壊して寝込むと母親に甘えられる‥‥普段は野良仕事が忙しく子供にかまっておれない母親に対し、無意識のうちに母の愛情に飢え、母の温かみを欲しておなかを壊したのかも知れない、何てこの歳になって思いながら、いつの間にかまたひと時まどろんだ。

 

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