ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

ひとのうわさ話。

 「小人(しょうじん)閑居して不善をなす 」という成句があるが、私みたいな老人が暇を持て余していると、ふと、何でもない過ぎし日の出来事を思い出すものである。

 

 はるかムカシ(昔)、I新聞に転職して記者駆け出しのころの話である。

 

  仕事は、まず朝の「サツ回り」から。市政記者クラブの各社記者と一緒に所轄警察署→検察庁→裁判所等を回って、それぞれの部局の責任者と雑談をしながら記事を拾う。

 取材される側も、各社ばらばらに来られるより、数社まとめて相手する方が効率的なのであろう。

 

 取材する方も、される側も、ちょっと見たところ朝の慣習‥挨拶みたいなものである。しかし、抜け目のないベテラン記者は、雑談の中からヒントをつかんで、後刻、単独で刑事課長を訪ねて話しかけ、時には特ダネに結びつけることだってある。

 

 朝のちょいとした儀礼みたいなサツ回り‥‥なんて気を抜いていたら、とんでもない。うかうかしておれない。新人記者はあちこちで頭を打ち、べそをかき、鍛えられて行くのである。

 

 そんなある日。私は、めずらしく宵のうちに仕事を終え、私鉄電車に揺られて1時間余り。自宅の最寄り駅で降りると、自転車預かり所に立ち寄って自分の自転車を受け取り、15分ほどペタルを踏めば自宅に着く、というのがいつもの道のり。

 

 改札を出た所で「突然呼び止めて、ごめんなさい」と後ろから声をかけられた。振り返ると、30代と思われる実直そうな男性である。

 「あなた、記者さんですね」

 「‥はあ」

 「私もこの私鉄で通勤しているので、時々姿をお見掛けします」

 「はあ‥」

 たまたま今日は同じ電車に乗り合わせ、時刻も早いので、途中下車して私の後を追ってきたようである。

 「ちょっと話を聞いていただきたいのですが・・」と駅前の喫茶店へ誘われた。

 話を聞いてみると、この人は、どうやら記者たちが毎朝回っているある部局の職員で

 「記者さん方は、いつも課長と何を話していらっしゃるのですか」と繰り返し聞いてくるのである。

 「何の話って‥‥。とりとめのない世間話ばかりですよ」と答えると

 「私のことは話に出なかったでしょうか」と言われ、

 「はあ?‥。‥個人のうわさ話なんて出ませんよ」と答えるしかない。

 「私のこと、何か話しているのじゃないかと、いつも聞き耳を立てていたのです」と。

 私は腹の中でびっくり。そんな見方をしている人もいるんだ‥‥。この人が、あの部署にいたなんて、名も顔も知らないし、全く関心もない。あきれたものだが、

 「気にすることは何もありませんよ」と、ここはなだめ慰めて、帰ってもらった。

 

 後日、この人が勤務するという部署を取材で回ることがあっても、あえてこの人の顔を見ることはしなかった。

 

 日ごろ、この話と似たような、気まずい雰囲気を経験された方もいらっしゃるのでは、と思う。

 

 こんなシーンも。

 たまたま職場の同僚が二三人あるいは数人、立ち話している所へ出くわした途端、いままでの話が途切れ、思いなしか顔を見合わせているみたい‥‥「面白い話でもしていたの?」何て笑って話仲間に加わってみよう振りをするものの、腹の底では(俺の悪口言ってたんじゃなかろうか)と疑心暗鬼を生じるものである。

 

 我が家でも。

 近ごろも相変わらず、家内の知り合いが、入れ代わり立ち代わり訪ねてきては家内とひとしきり雑談をして帰って行く 。狭い我が家、聞くともなく話し声が漏れてくる。

 

 「あそこの化粧品屋、感じが悪いのよ。化粧水を買って店を出ようとしたら、背後で店の奥さんと店員の笑い声がした。きっと、安物買いの私をあざ笑っていたのに違いない。あの店には、もう行かない」と家内に話して、うっぷんを晴らしている様子であった。

 

 お店の人たちはほかの話題で笑い合っていたのかも知れないが、お客の方は自分が陰口を言われたと受け取って気を悪くするものである。

 

 私だって、どこかのお店で買い物をして店を出るとき、もし背後で複数の笑い声を聞いたら(俺を笑ったのか?)と気を悪くするであろう。 

 店側のうかつでは済まされない。お客の姿が見えなくなるまで店主や従業員は私語を慎む‥‥これは接客の基本であろう。

 

 気の合った者同士が談笑したり、他人のうわさ話をするのは、時にはちょっとした息抜きにもなるようで、つい仲間に割り込んで調子を合わせてしまい、後悔することがある。

 

 うわさをすれば何とやら‥‥というが、他人様のうわさ話をして後悔するより、その前に、うわさ話するのを慎んでおいた方が無難のようである。