さようなら、ターやん。 その3
報道部員は年中、肩にカメラをぶら下げ行動していた。写真が本職のカメラマンも、時には記事を書いた。地方紙の記者は何でも屋であらねばならない。
あのころ、記者不在の名張支局のカバーは伊賀上野支局が受け持っていたように憶えているが、実状は何とも心もとない地域であった。
そのため、取材記者でないターやんが、まるで日課のように帰宅の道すがら名張警察署をのぞいては、自分の五感で事件・事故の気配を確かめていた。
それが今回、他社を出し抜いての大スクープとなって実を結んだのである。KY編集局長は「記者はそうあらねばならぬ。おまはんら、ターやんを見習え〜」と田中さんを褒め称えながら、報道部員を励ましたものであった。
重役からパートのおばさんまで、社内では「ターやん、ターやん」と気安く、親しみ込めて呼ばれていた田中芳朗さん。普段の人柄は、実に円やかであった。
私はことし5月末日、23年間お仕えした神社の宮司を辞任し、やっと肩の荷を降ろすことができた。
これで、長いこと顔を見ていないターやんともゆっくり会える、と先輩との再会を楽しみにしていた矢先の訃報である。
別れは人の世の常とはいえ、何とも寂しい。
さよなら、ターやん。また、次の世で……。