ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

いつかどこかで

那智の大滝

 紀伊勝浦へ妻と一泊旅行。熊野那智大社や新宮の熊野速玉大社をお参りした。
 遊覧船で紀の松島めぐりや太地のくじら浜公園を楽しみながら、これは前にも来たことがある風景だ、いつだれと旅行した時だったろう、そんな思いに陥った。
 那智の大滝や熊野速玉大社は、神職の研修時代、巡拝旅行で訪れたような記憶が残っているが、島めぐりやくじら博物館は初体験のはずだ。
 初めての場所なのに、前にも来たような感じがする――こういうのをデジャ-ビュ(既視感)というそうだ。
 いや、ただの老人ボケだろうか。おれも年取ったからなあ……。
 それにしても石段は足腰にこたえた。ああ、やっぱり年なのか。

 お参りしたどのお宮もお寺も、参道や境内の清掃が行き届き清々しかった。
 それに比べわが社の境内は今朝も落ち葉の山。早や寒気を含んだ秋風に、間断なくパラパラ舞い落ちる桜の枯葉を恨めしげに見上げながら、ひとり竹ぼうき持つ手もついストップ。