ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

けがれ……気枯れ

「厄除け祈願をしたいのだが…」と電話で祈祷の申し込み。
「厄年のお祓いでしょうか」とたずねると、電話口の男性はちょっとためらってから「いえ、物損程度だが車で事故を……」また口ごもる。
町内のA社に勤める30代男3人一緒で願いたいとのこと。ここまで聞いて合点がいった。A社はこのところ毎年、新年仕事始めに社員そろって私ども神社へ安全祈願に訪れている。ところがつい先日「会社内で心安からぬ出来事があったので、改めて安全祈願をしたい」と20人余の社員そろってお祓いを受けて行ったばかり。その日は勤務の都合でみんなと一緒にお参りに来れなかったから、自分ら3人だけ別にお祓い願いたいのだという。
実は先ごろ、A社の構内で作業中の自社トラックが、歩行中の同僚社員をはねて傷を負わせたという内容の新聞記事を目にしていた。どうやら今回の願主3人は、かの事故の当事者らしい。じゃあ祈願の目的を深くたずねるのは控えた方がよさそうだ。
予約申し込みどおり、その日の勤務終わった3人がそろってやってきた。一人が「S神社の交通安全お守り、持っていたけど効果なかったからこちらで処分して」とお守袋を窓口に差し出した。それに対し、私は何も講釈の言葉は返さず「お祓いして焚き上げましょう」と受け取った。本当は一言つけ加えたかったのだが、差し控えた。
拝殿でかしこまる3人にまずお祓い、次によりていねいな「大祓詞」(おおはらえのことば)を、次に願主の願い事が神さまのお心に通じるよう私が書き下ろした祝詞を奏上した。玉ぐしをお供えしてもらった後、気分一新あすからの仕事頑張ってくださいと励ましの言葉をかけた。
「何だか頭に乗っかっていた重石が取れた感じ」と爽やかな顔をして帰って行かれたが、さて……。
私なりにおのれの心を清め、おつとめしたつもりだが、祈祷はあくまでも精神的なもの。相手の心構えや受け止め方次第。願主の心のわだかまりが清められ、新しい生きる「気」がよみがえったろうか。神道でいうけがれは気枯れに通じると説く人がいるとおり、なえた気力をよみがえらせるのがお祓いであり神職のつとめである。