ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

ぞうきんを身にまとう

同じ郡内の神職が、順に当番を務める祭典に参列した。ことしは80歳近い宮司とその近隣神社の神職2人が役を分けあって神前にお仕えする。宮司は礼装である斎服(さいふく)、以下の者は浄衣(じょうえ)といういずれも白い装束を着け整列した
先頭の宮司さんを見て、ありゃ。その服装なに色?白には見えないよ。使い古したぞうきん色、形も崩れてよれよれ。ボロをまとっているみたい。この日の参列者はみんな神職ばかり。あの姿を見てどう感じたのだろう。私は、ちとショックを受けた。気になった。
神道は清浄を第一とします。神職のお勤めはまず掃除からと言われるほど。神は清らかな神社に存在するからです。また、神道は形が大事だというなら、当然神職の服装もまた真っ白であるべきです。宗教法人○○神社代表役員・宮司とは名ばかり、実態は氏子総代が取り仕切って、お金もすべて総代が握って意のまま。小さな神社ではこんなことがありがち。総代から仕着せのボロ装束で、神の御心にかなうのだろうか。
「ボロは着てても心は錦…」という歌の文句は、清浄や形を重んじる神社神道では通らないと思う。しかし実際は、細かいことにこだわって、あれやこれや(一昨日の余話)の大きな<矛盾>を、見ない振りして通り過ぎてきたようです。