ノスタルジー

「ワンちゃん宮司の旅の宮余話」(改題)。「ワンちゃん」は、昔、駆出し記者のころ先輩がつけてくれた。このあだ名、今では遥か青春時代のよすがでしょうか。

月日のたつのは

テレビドラマ「はぐれ刑事純情派」最終回を見た。18年間も続いたそうで、回想シーンに出てくる安浦刑事の若いこと――。
事務室デスクの引き出しから写真を探し出した。今の神社で初めてお宮参りの祈祷を務めた記念のスナップ。赤ちゃんを抱いた母親と並んだ狩衣(かりぎぬ)姿の1枚。もう15年前になる。この赤ちゃんも今は中3か高1になったろう。私の表情も、今よりだいぶん若く見えるか。就任当時、付属結婚式場の女性マネージャーと仲居さんが「新任宮司さん、テレビアナウンサーみたいね」とうわさしているよ、と耳にしたこともあったが、あれから足掛け16年になるのか…。月日のたつのは実に早い。年とって当たり前だ。

形と神職

神社神道では、神職はまず形を整えることを指導される。礼の仕方、足の進め方、緩急など、生涯研修を続けねばならない。
若い神職の動きを見ていると気持ちよい。背骨をピンと伸ばし、きびきびしてうらやましい。それに比べご老体は……。企業や役所を定年退職してから神職の講習を受け資格を取った者はどこかすっきりしない。装束を着け神前に立てば、素人目には一人前の神職だが、大抵の人が祭式作法まあお粗末。実技に限って言えば、六十の手習いならその程度のものだ。やはり10代、20代にみっちり基礎を勉強した者は、作法・動作が体にしみ込んでいる。私自身、とても人さまの立ち居振る舞いをとやかく言える柄ではない。最近の研修で学んだものはすぐ忘れてしまい、二十歳前後にK大学神道研修部で体が覚え込んだ財産?に頼って日々過ごしているようなものです。
そんなことあんなこと皆がわかりながら、ご老体神職に頼らねばならない現状に、小さな神社の実態がある。神職は奉仕――言われなくともわかっちゃいるけど、今の世の中人並みのお手当ても出せず、将来の展望も不確かな所に若い人は寄ってきません。
形を大事とする神社神道、その形がままならぬご老体神職。それが今どうこうというものでもないけど、気になりますね。