ワンちゃん旅の宮余話

ワンちゃんはニックネーム。愛称「旅の宮」元宮司のつれづれ身辺余話です。

娘の気持ち・父の祈り

長女は、ほとんど毎朝晩、通勤途中の車から電話してくる。

 

「おはよう」とあいさつすると、

うん・・。マロンは、何してる?」愛犬チワワのご機嫌を聞く。

 

老いた両親と飼い犬の、どちらを気にしてくれているのやら・・。

 

長女は、私どもから車で40分ほどの隣市でマンション独り暮らし。そこから勤め先の大学までは車で1時間余り。定時にはなかなか帰れないようで、大抵夜8時半ごろから9時ごろの間に「今大学出たばかり・・」と電話してくる。

 

「たまには早く帰れないのか」と聞くと「この時刻でも渋滞してる。定時で帰る頃は、超渋滞でイライラするわ・・。今も昔も酷道(国道)だわ」とぼいて「くわあぁ」大あくび。

「おいおい、ハンドルしっかり握っているんかよ」こっちがひやひや。

 

土日は講演を依頼されたり、ボランティアで出かけたり、全く休みを取ってない月もあるらしい。

 

時には酷道を避けて高速を利用するようだが「はッと気がつくとうとうとっとしていることもある」とのたまわっては「親の寿命を縮めてくれるなよ」と言いたくなる。

 

帰り道電話かけてくるのは、どうやら眠気を紛らわせるためらしい、と気を回したくもなる。

 

愛犬の今日一日の様子を聞いて「可愛いでしょ」「会いたいなあ」から始まって、ゼミ生と食べに出かけた話や卒業生が訪ねて来ただの次々とまらない。

「そりゃぁ結構なことだわ。若い学生に囲まれて、歳取らんだろう」

産学官連携協力への末席に加えられた。もっと頑張らなくっちゃ、と張り切って見せたり。

「仕事が一つ増えたら、一方で一つ減らさなきゃ。体が持たないよ・・。そろそろ歳を考えなさいよ」と案じる。

 

「父さんと話していると、いっつもネガティブになってくる。じゃあ、お休み」と電話を切られる。

 

(ばか・・)と胸の内で舌打ちし、親心が分からんのかなあ・・、ちょっぴり寂しくなる。

父さんは、お前が生まれた時からずうっと、お前の健康と安全を祈り続けているんだがなあ。

 

男、至福のひととき?

 連休で、名古屋に居を構える長男が帰省した。久しぶり、正月以来である。

 

 夕食の後、コーヒーを飲みながらの雑談で。

 息子が言うには、毎日大抵夜9時ごろ車通勤の帰り道、途中コンビニに立ち寄って100円コーヒーを買い、車の中で一人カップを抱え込む。

 ひと口のどを潤し、ほうっとひと息つく。この瞬間が、えも言われぬ、まさに至福のひと時だ・・ふふっと照れ笑い?した。

 

 同感! 私もすかさず相槌を打つ。あるある・・父さんは、その気持ちわかる分かるよ。

 

 100円コーヒーとはちと寂しいが、何ともゆったり気落ちの落ち着く、言葉に言い表せない至福の一刻であり、それはまた時には男の悲哀さえ感じる瞬間でもある。

 

 家族との生活が波立っているわけでもないし、仕事もほぼ順調だと言っていい方だろうし、日常に取り立てて不満というほどのこともないのだけれども、男ってやつは時々ふっと一人っきりの空間に閉じこもってみたくなるものなのか……私も夜空を眺めながら、自販機の缶コーヒーを飲んでホンのひと時至福の気分に浸った40代、50代のころを思い浮かべるのであった。

 

 

今日は見知らぬ顔ばかり・・

 ふだん、私個人のお金の出し入れは、A銀行B支店のATMで済ませているが、少し尋ねたいことがあったので、一年ぶりくらいだろうか窓口に立った。

 

 順番を待つ間、カウンター内で立ち働く行員さん方のお顔を見渡したが、奥の支店長席で書類を見る男性も、窓口の女性も、どなたも知らない人ばかりであった。

 

 数年前までなら、窓口を訪ねれば、顔見知りの若い女子行員が「あら、宮司さん」と、にこにこ気安く話しかけてくれたし、時には支店長がわざわざ席を立ってきて一言二言愛想してくれることもあった。

 

 私が宮司を務めていた神社の祈祷料や賽銭等の預け入れなど、日常のお金の出し入れは、ほとんどB支店にお願いしていた。

 また、毎年仕事始めには、支店長始め主な行員の方々、お揃いで企業繁栄・社員安全の祈祷を受けにおいでになっていた。

 

 そんな関係で、在職中は支店の方々ほとんどお顔なじみであった。銀行員さんも転勤が多いようだ。リタイアして4年もたってしまった私はすっかり浦島太郎である。

 〽「どこへ消えたか 女の子さえ、今日は見知らぬ顔ばかり・・」 むかし、鶴田浩二が歌っていた「名もない男のブルース」のフレーズを思い出しながら銀行を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

沈丁花の花の香り……

 2平米ばかりの裏庭に、妻が移植した沈丁花が花をつけた。
 背丈は50センチほどだが、数本の枝に四五十個も白い花を咲かせ、辺りに甘く上品な香りを漂わせている。
 チワワ散歩の行き帰り、鼻を近づけては、やや強い香気にひとり酔っている。
 
 沈丁花の香りが好きだ。
 
 高校時代、彼女の家を訪ねてお茶をいただいている時、中庭からそこはかとなく甘い香りが漂ってきて、たちまちその香りが好きになった。香りの主が沈丁花の花だと知ったのは、恥ずかしながら何年か後のことだった。

 沈丁花の香りは、昭和30年代松本清張推理小説「黄色い風土」に「沈丁花の匂いをまとった不思議な美女」が出没して興味をそそられたし、さらにテレビドラマ化され冨士真奈美扮する沈丁花の女を見て、ますます心に残る香りとなった。

 

『毎日、出来心』……

 中日新聞のコラム欄で、女流画家篠田桃江さん(103歳)の「残り人生をスケジュールに合わせて動くなんて、とんでもない」「私は、毎日、出来心」という趣旨の言葉が紹介されているのが、目に留まった。
 
 私は、思わずニヤリとした。何とシンプルで、歳を重ねた人の、味のある、人生を達観したかのひと言であろう。

 
 神社を退職して3年が過ぎてしまった。あれを片付けておきたい、これもしたい……と思いながら、結局は何にもしないで無為に明け暮れを重ねるばかり。

 
 「毎日、出来心」―今日からは、この気持ちのままに暮らしてみよう。

さようなら、ターやん。  その3

 報道部員は年中、肩にカメラをぶら下げ行動していた。写真が本職のカメラマンも、時には記事を書いた。地方紙の記者は何でも屋であらねばならない。

 あのころ、記者不在の名張支局のカバーは伊賀上野支局が受け持っていたように憶えているが、実状は何とも心もとない地域であった。

 そのため、取材記者でないターやんが、まるで日課のように帰宅の道すがら名張警察署をのぞいては、自分の五感で事件・事故の気配を確かめていた。
 
 それが今回、他社を出し抜いての大スクープとなって実を結んだのである。KY編集局長は「記者はそうあらねばならぬ。おまはんら、ターやんを見習え〜」と田中さんを褒め称えながら、報道部員を励ましたものであった。

 重役からパートのおばさんまで、社内では「ターやん、ターやん」と気安く、親しみ込めて呼ばれていた田中芳朗さん。普段の人柄は、実に円やかであった。

 
 
 私はことし5月末日、23年間お仕えした神社の宮司を辞任し、やっと肩の荷を降ろすことができた。
 
 これで、長いこと顔を見ていないターやんともゆっくり会える、と先輩との再会を楽しみにしていた矢先の訃報である。
 別れは人の世の常とはいえ、何とも寂しい。

 さよなら、ターやん。また、次の世で……。

 
 

さようなら、ターやん。  その2

 翌日から、報道各社の取材競争が始まった。
 
 当時、伊勢新聞の県警本部記者クラブ詰めはNキャップと私の2人。私は県政記者クラブのカバーもさせられていた。
 
 ベテラン記者のNキャップが、事件の現地へ向かい、私は鑑識課や県の衛生研究所などの取材を受け持った。
 
 そのころの伊勢新聞社の取材体制は、まことに弱体であった。取材記者が少ない。自動車など機動力がない。通信機材も他社に劣る、。郷土紙を標榜しながら、実のところ通信社からの配信に頼るところが大きかったように思う。

 
 事件は、容赦なく大きく揺れ動く……。


 
 普段、ターやんと私は、帰宅する近鉄電車の方向が途中まで同じなので、駅前の喫茶店で待ち時間をつぶすことが多かった。

 あのころは、二人ともタバコをよく吸った。ウエートレスが何度も灰皿をかえにきてくれた。
 取材の話、社の話などお互いよくしゃべり合った。若かった。

 だから、電車にはいつも駆け込み乗車。

 名張駅で降りたターやんは、その足でたいてい毎日名張警察署をのぞいてから帰宅するのを習慣みたいにしていた。昨夜もそうだった。(当時の名張支局には、記者が配置されていなかった)。
 
 日ごろのその心がけが幸いして、今回の事件では、いち早く現場へ急行し、生々しい写真をスクープすることができたのである。

 ターやんは、太っている割にはこまめによく動いた。各社のカメラマンとの小競り合いは毎度、時には怒鳴り合いもして平気な顔をしていた。
 

 それだけ写真の仕事を愛し、報道カメラマンの使命に誇りを持ってあの時代働いていたのだと、私は今も田中芳朗さんを尊敬している。